2015年(平成27年)1月・冬39号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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小砂地区の中で最も奥に位置する来目木を流れる小口(こぐち)川沿いを歩いていると、田んぼの一角に、髭を生やしたナマズの上に乗ったカエルの石彫を見つけた。奇妙な彫り物に興味が湧き、近くの家を訪ねてみると、黄色いタオルを頭に被った精悍な顔の長山徹(ながやま とおる)さん(73)が、我が意を得たりと石彫の説明をしてくれた。

「春になって田んぼへ出ると、春が来たことを喜び、あちこちでカエルがゲロゲロ鳴いているんだよ。その中で、悲しそうな鳴き声が聞こえるもんでね、よく見てみると、ヘビに呑み込まれようとしているカエルがいるんだよね。それでね、私がカエルだったら、ヘビの上に乗って天を仰ぐようなことをしてみたいと思ってね。それで彫刻家に頼んで彫ってもらったんだよ。あのカエルが乗っているのはヘビなんですよ。カエルが向いている方向は、南東なんです。“おぼねだし”といって豊作の風が吹く方向なんですよ」

まったく想像もしていなかった話の展開だ。

「自分に与えられた住処(すみか)で、いかに毎日充実して暮らすかを考えていますからね。団体を作って地域を充実するというのも良いが、まずは各々なんですよ。もっとも、そういう気持ちに目覚めたのは、50歳を過ぎてからだけどね」

「そうだそうだ」と心の中で共感していると、徹さんの話は、さらに思わぬ方向へ発展していった。

「ホオの木と栗の木というのはね、お墓の境内に植えとくんだって、あんた知ってたかね。私の曾祖母さんが言ってたんだがね。栗というのは、西に木と書きましょ。そんで、亡くなって西方浄土に旅立つのに、栗の杖を突いて旅立つんだって。それと、ホオの木というのは、6月に大きな白い花を付けるんですよ。ええ香りがすんですよね。それでね、花が開く前の蕾は蓮の花にそっくりなんですよ。そんでね、山蓮(やまはす)って言ってんだよね。おらっちには、お墓のすぐ裏に何百年経ってんか知らねえけど、大きな栗とホオの木があんですよ」

その栗とホオの木を見せてもらわない訳にはいかない。さっそく徹さんに案内していただくと、長山家の墓地の上から来目木の集落を見下ろすように、栗とホオの大木が並んで立っていた。

「ところが、ホオの木の葉は枯れてくっと、大きくて白いでしょ。いやもう、お墓におびただしく落ちて、掃除をすんのに往生すんですよ。若い頃ね、掃除が大変だから伐っちゃおうかと思ったんだけど、俺の脳裏に曾祖母さんが言った言葉が残ってるもんだから、とうとう伐んないで。今になってみると、伐んないで良かったかなと思ってんだけど」

自宅の裏山にある墓地を案内してくれた長山徹さん

私が話を面白がって聞いていると、徹さんは立野集落の横山賢四郞(よこやま けんしろう)さん(91)と美恵子(みえこ)さん(84)を訪ねるように薦めてくれた。賢四郞さんはシベリアへ抑留されていたため、敗戦から2年経って帰国した。その後、美恵子さんの両親から乞われて横山家に婿に入ったのだそうだ。賢四郞さんと美恵子さんの家は、立野集落から仲郷上集落へ抜ける小さな峠の近くで、斜面を切り拓いた見晴らしの良い場所に建っていた。

 病弱だった美恵子さんの父親を助けるように、二人で一緒に道路工事の仕事に出る傍らで、小さな棚田を人力だけで均(なら)して広い田んぼにするなどの努力をしながら、結婚してからの65年間を暮らしてきたのだ。

 「うちの人が来て、何年かは、タバコとか麦作ってたんだけど、タバコ止めちゃって、土方やったよ。土方をね。昭和40年の頃だな。それから、私が69歳、いま少しで70になるくらいまで働いた、土方で。そうやって、やってきたんだよ。ほんだから脚痛いんだよ。舗装仕事だからね」

 賢四郞さんも同じ土木会社に仕事に出ていた。「俺、78(歳)までやったんだよ」。切なくなるほどの努力を重ねてきたのだ。しかし、苦労した経験も時間が経つと、笑い飛ばすしかないこともあるようだ。美恵子さんが、タバコ栽培をしていた当時を、おとぎ話のように語り始めた。

見晴らしの良い自宅の庭で2人揃って。「私ゃ写真写りが下手だから」と美恵子さん

美恵子さんの思い出を、笑い声を上げて聞いていた賢四郞さんが、当時の苦労を思い出したのか、自分にも話をさせろというように、勢い込んで話し始めた。

「当時の家は、乾燥小屋づくりの家だったんだよ。畳の部屋は2部屋しかなかったんだよ。あとはみんな板張りで、土間のこっちには馬小屋。昔は、どこでも家畜は家族同様。家ん中にあったんだから家畜小屋。始まりは馬が居て、その後、段々に牛になって。どこの家でも、家ん中の、すぐそこに牛と馬が居たの。今では、考えらんない。臭せえなんていうもんじゃねえ。今だって、堆肥は臭いって言うけど、一緒だもんねえ。昔の家畜は、今の農機具だ。ほんだから大事にしたんだよ」

「家の下は小さい田んぼでしょ。前は、あれより小さかったの。それでも牛で掻いたんだよ。牛に馬鍬(まんが)っていうのを付けて、そして掻いたの」

美恵子さんも競うように話し始めたが、賢四郞さんが譲らない。

「そん時、田んぼも何もみんな、私らが直したんだよ。もっと細長ーい田んぼだったんだよ。みんな人力、手で、広い田んぼに直したんだよ、モッコ担いで。せっかく直した田んぼを、こんだ今は、休耕だなんて。何にも作れねえ。あれだけ骨折って作ったやつが、何にも作れねえんだから。草がボウボウしてんだよ。山だってそうだよ、唐鍬(とうぐわ)で開墾して、その当時、畑作ったんだけど、又、山にしちゃって。相当変わったよ。こんなにも変わるものかと、あれだけ苦労したのが、一所懸命開墾したのが、みんな山になっちゃった。今、話したのは、うちばっかりだねえや。昔の農家は、どこでもこうだったの」

庭先から眼下に、二人が汗を流して広げた田んぼが見えている。賢四郞さんが庭に出るたびに、今では草に覆われてしまった田んぼが、否応なく目に入るのだ。賢四郞さんと美恵子さんの悔しさが伝わってくる。

「おらちの曾祖母さんは、慶応元年生まれで、指に塩付けて歯を磨いてたね。お歯黒だったね。この辺では一人だったね。何という木だったか分かんないけど、木の実を潰して、茶殻と錆びた釘、それを茶瓶に入れて煮るんだね。嫌な匂いがするんですよ。あの当時の人で99歳まで長生きするのは稀だったね。毎朝、ここの山の水で顔を洗って、それから高倉権現様へ向いて手を合わせていたね。おらちの曾祖母さんなんかは、公家の名残だったんでしょう、カミソリで眉を剃ってましたね。それで、立て膝なんですよ。名前は、長山シモっていうんだけどね」

 

「昔の家(うち)は、ぼっこり家でよ。私が留守番してても風が吹いたら、家が、ギリギリって、潰れんだって思うほど、おっかなかったんだよ。天井もなかった、タバコ作ってたから。タバコの葉を束ねて乾燥するのに、頭ぶつかるほどまで吊したね。タバコで食っとるんだもの。どこの家でもタバコの下で寝てたんだよ。考えらんねえよ。虫が落っこちんだよ」

横で話を聞いていた賢四郞さんが、「虫がウンチすんだよ」と相づちを打つように補足して、大笑いしている。

「タバコ虫って、タバコに集(たか)る虫がいんだよ。考えらんねえ、ほんと。ほんで、その下でご飯食べてたんだから。畳全部上げちゃって、夏は、家じゅうタバコ。縄に挟んだタバコを床にすれすれまで吊っといたんだよ。食べっとこだけは高くしといてよ。そいで、家ん中ではタバコの下潜って歩ったんだよ。考えらんねえよ。今は、働くとこあっから、そんなことしてないから良いんだけどもね。けども、働いたって(お金は)残んないんだから、同じなんだね。働けば働くように金掛かんだよ。着る物も掛かる。履き物も掛かる。車に、かなり掛かっちゃうもの。同じなんだよ、昔とね。昔は、それほど辛いとは思わなかったね。だけっど、考えっと、あの頃の生活も良かったなあって思う時もあるよ」

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