2014年(平成26年)5月・初夏35号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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ミツ子さんを見送ってから、大正土手の下を歩いていると、水を溜めている田んぼの縁を鉄棒で突いている男性に出会った。

「モグラが居るんだ。モグラが居るってことは、ミミズが居るってことだからな。土地が肥えてることで良いことなんだけど、モグラが穴を開けるから、水が溜まらないっていうのが困るんだ。まったくな、毎年、一年生なんだ。去年良かったって思ってもダメだよ。鉄棒で突いて、モグラの穴を塞ぐんだ。自然には勝てねえよ」

小林次生(こばやし つぎお)さん(78)は、根搦み前水田の東南端にある家で生まれ育った。翌朝もう一度、次生さんの田んぼを見に行くと、田んぼの水は満々と溜まっていて、代掻きが始まっていた。鉄棒でモグラの穴を塞ぐ作戦は成功したようだ。

「ここの田んぼは、もとは多摩川の川底で砂利みてえなもんだから、毎日水を入れなきゃすぐに干上がってしまっちゃうんだ。代掻きして3日くらい置いといて、それから田植えなんだよ。キヌヒカリが倒れにくいからな。食べてもそこそこだからな。兄弟3人にくれてな、子どもが2人分。だから手伝いさ来いよと言うんだよ。20人くらいで食べてんだよ。自分で食べてんのは3分の1で、後は、よそで食べてんだ。畑に作ってんのは、ネギ、大根、キュウリ、トマト、コンニャク、里芋だってひと畝で良いんだからよ。オクラ、ゴーヤなんかは2株あれば食べきれねぇよな。それに、ホウレン草、ナス、ピーマン、山芋。菜っ葉類は、よそから持って来てくれっから。ゴボウだけはダメだな、3年ぐらい空けなきゃ、連作がきかないからよ。ジャガイモなんて、ひと畝ありゃ一年中あんだからよ」

代掻きの休憩の時、納屋の庇の下でお茶をいただきながら、この地域は子どもの頃の暮らしとどのように変わったのか聞かせてもらった。

「もとは、近所が5、6軒しかなかったんだから、すごく住宅地になっちゃったな。夜なんか寂しいもんだったよ。養蚕、養豚やってて、羽村じゃもう今は豚は居ないだろ。昔は、羽村に来りゃ豚臭いと言われたけど、それ位どこでも豚飼ってたよ。小さい頃は何もなかったからな。鶏飼ってて、調子の悪いのを潰して食べるくらいで、肉なんて食べんのは年2回か3回だもんな。子どもの頃はイワシなんてすごくあって、肥料だったんだからな。今では高級品だかんな。農家だから食べもんはあんだよね。品物がねえんだ。自給自足みたいなもんだった。お茶でも一年分は自分とこで作ってたんだけどよ。おやつなんかサツマイモやジャガイモだろ、菓子なんて食えやしなかった。昔食べてたもんが、いま高級品だかんな。まさか自動車に乗れるとは思わなかったもんな。スクーターに乗れればすごいなと思ってたんだもん。今の天皇の結婚式をテレビで見るちゅうのを楽しみにしてたもんな。オリンピックあたりから勤めに出るようになったからな。景気が良くなってきてよ。日野自動車や東芝へ勤める人が多かったよ。住宅地になってから農業やりにくいよ。臭いのする堆肥みたいなものをちょっと撒けばよ、すぐに苦情くるわ。今は、水洗便所になったけど、前は、下肥を畑に撒いたりしてたからな。臭いはするし、ハエは出てくるし。今は、ハエ一匹いたら大騒ぎだよ」

 

自宅側にある次生さんの田んぼの代掻きは、午前中で終わった。根搦み前水田の真ん中辺りで、大勢の人が集まっている。羽村市役所が呼びかけたボランティアの市民が、来年開催されるチューリップ祭りに植える球根を収穫に来ているのだ。球根が収穫された後、水を入れて代掻きし、6月になると、ようやく田植えが始まるそうだ。ここの田んぼでは、古くから養蚕や麦の収穫との兼ね合いで6月に田植えをしていたと、小作庫生さんが話していたのを思い出した。田植えの頃をねらって奥多摩を取材に訪ねたつもりだったが、もともと時期外れだったようだ。

チューリップの球根を収穫している田んぼの近くで、一人黙々とのらぼうを引き抜いて軽トラックに積み込んでいる男性が居る。父親が亡くなったため、勤めを辞めて今年から本格的に農業を始めた中野修一(なかの しゅういち)さん(48)だ。

「のらぼうって、どこにでもそこら辺におっぽいといて生えるから、のらぼうって言うんじゃないですか。新芽を摘んで食べると、どんどん新芽が出てくるんですよ。(あきる野市の)五日市が原産って聞いてますけど。(根搦み前水田の中にある)ここの土地が決して売れる訳じゃないんで、残された土地を守るのに二足のわらじは履けなくなって。今、毎日が面白いですね。ニンニクとラディッシュを主に出荷してるんで、他のものは良いものができた時に売るくらい。ニンニクは6月に収穫して、吊して保存して10ヶ月くらい売れるんです。1年目は良くできたけど、2年目は全然できなくて。やっぱり土質の関係だったみたいで、カキ殻石灰に替えて量を多くしたとたんにできるようになりました。植わっている時から茎の大きさで出来は分かるんです。青森産の種でないとダメですね。一かけずつ植えていくんです。蒸かして食べると全然違いますよ。良いものはホクホクして。種が3万円するんで、100個売って元ぐらいですよ。お金の面を考えなかったら面白いです。他に、小カブ、ニンジン、タクワン大根をやりましたけど、何もできずに花が咲いて終わったんです。今年は5年に一度の大雨の年なんで、多摩川の水が溢れてくるのが心配ですね」

しばらく手を休めて話に付き合ってくれた修一さんは、花が咲いてしまったのらぼうを引き抜いたり、収穫が終わった畝のマルチ(農業用ビニールシート)を外したり、次の作物を植え付けるための下準備を再び始めた。この日、全国的に強い日差しが照りつける夏日がニュースになっていた。

 

根搦み前水田には、農地を維持するために耕作している家庭菜園的な畑もいくつか見かける。羽村市内ではあるが青梅市に近い小作地区から自転車で畑に来ていた森美穂子さん(79)は、親の遺産として引き継いだ畑を兄姉3人で作っている。「遊びみたいなもんですよ」と言うが、ジャガイモ、ナス、小松菜、ニンニク、タマネギ、スナップエンドウ、ラッキョウ、レタス、トマト、キュウリ、三度豆、ピーマン、ササゲ、ヤツガシラなど、少量ずつだが多品種の栽培だ。「姉はね、隣の畑でスイカやるんですよ」と、ちょっとうらやましそうだ。スイカを植える予定だと指さす畑を見ると、既に石灰が撒かれ準備万端のようだ。「私はね、ゴマ。これを今年は挑戦してみたの。(芽が)出るか出ないか分からないけど。固いよ、雨降らないから」と、風呂場で使うような小さなイスに座って、移植ごてで土寄せをしていた。

 

今日も守久さんの畑で煙が上がっている。少し離れた畑でのらぼうが枯れたままになっていたのを、引き抜いて運び、燃やしていた。田植えの準備を少しずつ始めているのだ。

「他の田んぼの田植えが終わって、除草剤なんかが流れてしまってから、自分の田んぼに水を入れないと、変な薬が入っているからね。一反の田んぼにうるち米と餅米を植えるの。籾のまま置いといて、必要な時に籾から精米するから美味しいんだ。東京で農業やること自体が、もう間違いだよな。無理して東京で農業やらなくたって良いんだよ」

いつもならば足下が見えなくなるまで畑にいる守久さんが、夕陽が沈む前に引き上げると言う。「今夜は、千葉に居る息子が久し振りに帰ってきて、一緒に夕飯喰おうって言ってんだ」と、照れながらも嬉しそうだ。

修一さんの畑のニンニクの茎

民家の横を流れる羽用水路の大堀

小作地区から自転車で畑にきていた美穂子さん

■次号(36号)は鳥取県で取材し、2014年7月末に掲載予定です。

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