2014年(平成26年)5月・初夏35号

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小作庫生さん(88)は、庭先のビニールハウスで蒔いたばかりの種籾に水をやっていた。

「インターネットの新聞、そうかい。私ゃね、コンピューターは早くからやってんだよ。ワープロから始めたの。まったくね、始めは大変でした。ローマ字から練習して始めましたからね」

「実はね、最近、家内を亡くしましてね、明後日が四十九日なんですよ。いやいや、話をするのはいいんですよ。家内は、うちに来て60年も居たんですから、良くやってくれました。それでね、昔の葬式をやってみようということで、地区の方にお世話になってね、葬具を作って、家の庭を3回ぐるっと回ってね、送り出したんですよ。それで、今は、独りで暮らしてんですよ。長男は隣に居るんですよ、でも、自分で暮らしてみようってんで、食べるのも自分でやろうとしていると、だんだん面倒になってね。インスタントが多くなったんだけど、やっぱりうちで作る野菜が一番美味しいね。うちの野菜を食べるような元の食事に戻りました。だからね、家内にもね、レタスをしょっちゅうあげてます。喜んでんじゃないかと思いますよ。あと5年ばかり生きてくれれば良いなと計画を立てて、これから少し楽しもうと思ったら、先に逝かれちゃったよ」

「今日はね、四十九日に、お墓に供える施主花を作ってみようってんで、孟宗竹を切ってきて準備してたんだよね。そうかい、あんたの話は施主花を作ってからでもいいかい。花を活けるにはね、真(しん)、副(そえ)、体(たい)というのがあってね。南天と竹を真にして、サツキとキンカン、それにヤツデとシュロ、葉蘭を活けようと思うんだけどね」

玄関先に停めた軽トラックの荷台を作業台にして、庫生さんは施主花を作り始めた。庭のあちこちから切り出してきた材料を組み合わせて、高さを合わせ、左右のバランスを見ている。しばらくすると、サツキのピンク色が鮮やかで愛情のこもった施主花一対が出来上がった。

「昔は、施主花には色物を好まなかったですね。白い色の花を使って気遣ってましたね。もう施主花を作れる人は居ないね。それで、私が作って見てもらおうと思ってね。うちにあるもので季節の花を活けるのが良いね」

軽トラックの荷台に乗せたままの施主花を、少し離れて満足そうに眺めた庫生さんは、「さ、本題に入りましょうか」と、モダンなデザインの鉄筋コンクリートの自宅に招き入れてくれた。応接室の大きな窓の向こうに多摩川の流れと奥多摩の山々が眺められる。自ら淹れたお茶を私に差し出し、ふかふかのソファに腰掛けると、活き活きとした表情で話し始めた。

「昭和38年に羽村第5分団長をやりました。当時は、サイレンで火災を知らせるような方法じゃなかったんですよ。まだ、半鐘を叩いていました。それで、町にお願いしてね、(埼玉県)川越市で火の見櫓を作ってもらったんですよ。あの長いのを1トン車で運んだんですよ。鉄工所ではクレーンがあるので、1トン車に乗せるのなんか訳ゃないですよ。さあ、どうぞということですよ。1トン車の前の方へうんと出してね。後ろへはなるべく出さないでね。第5分団が35、6人居たのかな、車に分乗してね、全員で行きました。帰りにお巡りに捕まっちゃったんだけどね。あの当時、消防というのは、お巡りさんと近かったね。仲間同士というか、消防に対して温かみがありました、警察はね。それで、分団長の私が拝み倒してね。それならと言うので、パトカーが後ろに付いて来てくれましてね。管轄過ぎっちまえば、羽村までは付いて来やしねぇんだから」

「それがね、後になって火の見櫓をみんな撤去するちゅぅんですよ。もうサイレンで火事を知らせるようになっちゃったら要らねぇでしょ。片付けるのに25万円掛かるちゅう話。それじゃもったいねぇやという訳でね。俺なんかが作ったもんだしね。持ってくよと。俺が文化財にして見せんぞって言ってね。あそこへ持って来た。しかも、防災班を作ってね、活かそうと。阿蘇神社が東京都の有形文化財になってるでしょ。それで、私が神社の自主防災班を作ってね。法隆寺の金堂が焼けたお正月の26日だかに文化財防火デーってのがあるでしょ。その日に出初め式して、あの半鐘を叩くんです。毎年やってます。褒められたけどね。今でもね、その半鐘が飾り物じゃないっちゅうことです。そりゃすごいですよ。あの火の見櫓は生きてるんですよ」

玄関には、亡くなったえい子さん(享年83)が描いていた墨絵が額に入れて飾られていた。

 

土曜、日曜日は、多摩川河川敷にある宮の下運動公園で、少年野球の試合が夕方まで行われていた。子どもたちの歓声を聞きながら、桜並木の土手道を散策する市民も多い。「多摩川左岸 海から55K」と書かれた標柱が立っている大正土手のすぐ下まで住宅は迫っていて、畑や田んぼが住宅に挟まれるように残っている。夕陽に照らされた畑の道路脇に、電動自転車が止めてあった。麦わら帽子を被った宮川ミツ子さん(81)が、ツワブキに埋まるように座り込んで草取りをしている。ミツ子さんの畑には、ジャガイモが4畝半、何が植わっているのか分からないマルチの掛かった畝が2つ。夕陽に照らされた若いネギが6畝。畑の半分にはツワブキ。道路脇の畑の一角に取り除いた草が小さな山のように積み上げてある。ミツ子さんが一人で取った草なのだ。黙々と草取りをしていたミツ子さんは、「電動自転車は、坂道は楽だけど平地は重いよ」と言って、夕陽が落ちる前に帰って行った。

■次号(36号)は鳥取県で取材し、2014年7月末に掲載予定です。

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