2015年(平成27年)3月・春40号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

大小の曲線が重なり合う石部(いしぶ)の棚田を縫うように続く石畳の道を上ると、両脇の田んぼは、早々と冬耕と畦切りが終わっていた。重なり合う棚田の下方に肩を寄せ合うように石部集落が小さく見え、その向こうに青々とした駿河湾が広がっている。石畳の道をさらに上り詰めると、棚田の畦にエンジン音を響かせて草刈りをする男性の姿があった。

|「あんまり早く畦切りをすると、田植えまでに、また草が生えるって、女房が言うんよ」

草刈り機のエンジンを止めて髙橋 靖(たかはし やすし)さん(77)が、他の棚田より作業が遅くなっているわけを教えてくれた。エンジンの音が止むと、駿河湾から吹き上げてくる風の音が聞こえてきた。畦の斜面に、春の訪れを知らせるフキノトウとタンポポが花を付けていた。

|「今は、畦をこんなに広く取ってるけどね。昔は、ひと株でも余計に収穫しようとギリギリまで畦を細くしてあったね。水の管理が容易でなくなるけどね。夏になると、毎日、水を見ないと、モグラやカニが穴を掘って、水漏れするからね」

靖さんは再び草刈り機のエンジンを掛け、畦の草を刈り始めた。回転する刃が巻き上げる土煙が、陽光に浮かび上がる。

静岡県伊豆半島の西海岸に沿って走る国道136号線の信号から加茂郡松崎町石部集落に入ると、いかにも海辺の集落らしく、あちこちでヒジキを干す人びとの姿が見られた。後で聞くと、たまたまその前の日が1年に2回だけあるヒジキの解禁日に当たり、石部の全戸が岩場に出てヒジキ刈りをしたのだそうだ。石部集落の目の前は駿河湾、背後には、急勾配の棚田が連なっている。古くから半農半漁の暮らしを続けてきた集落で、聞けば、男たちの多くが若い時は、海に係わる仕事に従事していたそうだ。

草刈りをしていた靖さんも中学を卒業してから1年間は、両親と一緒に農業をしたが、どうしても船に乗りたくて、40年間ほど船の仕事をしていたという。冬が逆戻りしたような冷たい西風が吹く朝、集落の一番上の靖さん宅を訪ねると、妻のはるみさん(74)が、靖さんが船に乗ることになった経緯を話してくれた。

●取材地の窓口

 松崎町役場 企画観光課

 〒410-3696

 静岡県賀茂郡松崎町宮内301-1

 電話 0558-42-3964

 Fax. 0558-42-3183

 http://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp

●取材地までの交通
松崎町までの交通は、東名沼津ICから車で120分。伊豆急下田駅からバスで50分。あるいは、伊豆急蓮台寺駅からバスで33分。松崎町からは、西伊豆東海バスの松崎バス停から雲見方面行きバスに乗り、石部バス停下車。1時間にほぼ1本の割合で、平日は13本、休日は12本運行している。所要時間は約14分。料金は390円。石部バス停から石部棚田までは、徒歩で約30分。

 

 

|「おじいさん(舅)が言うには、この人は、何でも船に乗りたくて、海ばっか眺めてたんだって。おじいさんは農業をやらしたかったの、自分の跡を継いでね。だけん、1年は農業をやったけど、海ばっか眺めてるから、仕方なく観念して船に乗らしたそうです。おじいさんが亡くなった年に船は辞めて、農業を始めたんだけどね。『農業は大変だから、少しでも手伝って』と言うと、魚釣りが好きでね、ちょっと時間があると魚釣り。嘘を言っても魚釣りに行く。ほんとに魚釣り。若い時でもね。たまに船が休みで家に居る時、私が農業を手伝ってくれないとグズを言うとね、おじいさんとおばあさんがね、『いいじゃないか、海の上で骨折ってくるんだから』って言うもんだから、この人の勝ち」

若い頃を思い出して嬉しそうに笑うはるみさんの横で、靖さんが苦笑い。

|「うん、ま、そういう時代があったけどな。でも今は、もう忙しくて。うちの田んぼは8畝ぐらいだね、段々でね。棚田オーナー制度に出さないで、何故、自分の田んぼを残したかと言うとね。『ひとが止めても、お前たちはこの棚田を守れ』って、親父に言われたんだって。『日本の国は必ずお米に困る時が来るから、その時に一粒の米の飯でも食えるようにしとけよ』というのが親父の遺言だった。それで、うちの8畝の田んぼが残ったわけですよ」

現在、石部では、標高120m〜250mの間に、4.2ヘクタール、約370枚の棚田がオーナー制度の活用も含めて耕作されている。盛んに耕作が行われていた1960(昭和35)年ごろは、総面積10ヘクタール、約1000枚の棚田が広がっていたそうだ。石部棚田の歴史は古く、江戸時代後期の文政年間(1820年前後)の頃、棚田が築かれていた谷に山津波(土砂崩れ)が発生し、石部地区一帯が被害を受けた。その後、年貢免除を願い出て、約20年の歳月を掛けて築き直されたのが、現在の棚田だと資料にある。

|「この石積みの棚田をね、先人が、これだけの石を集めて造ったとびっくりしてるんですよ。大変な労働だったと思うよ。棚田の1枚1枚全部に、真砂土(まさつち)といってね、下へ水が漏れない土の層が敷いてあるんですよ、全部。先人の知恵の素晴らしさっていうものがね。よーく、あれだけの先人の財産を残したかと感心するよ。それでね、20年掛かって、江戸時代に復元した当時は、みんな平等(へいとう)に、上から順に分けたんだってよ、始めは。だけんども、博打をやって、みんな取られちゃったんだってよ。俺、そういう風に聞いてるよ。うちの田んぼは、今は一番上だけど、まっと上にずっとありました。今は、杉林になってるけど」

炬燵に肩まで入って「今日は風が吹くから休み」と言う靖さんが、民話の世界のように先人たちが棚田に込めた思いを話してくれた。

 石部集落の入り口から集落の間を抜けて急な坂道を上って行くと、以前は棚田だったと思われる石積みの段々畑があった。その一角にオリーブの樹が植えられ、銀色の細長い葉がキラキラと太陽に輝いている。このオリーブ畑を管理しているのは、石部地区棚田保全推進委員会の会長を務める髙橋 周藏(たかはし しゅうぞう)さん(76)だ。棚田を復元して地域の活性化を目指そうとした当時、区長を務めていて先頭に立って活動した周藏さんに、当時の状況を伺った。

|「私には、オリーブ茶の収入があったから棚田復元に打ち込むことができたのでね。それが幸いでした。石部を含む松崎町の入り江の集落を三浦(さんぽ)地区と言ってね。以前は、海岸道路がなかったですから、他所に行くにはポンポン船で行き来していましたよ。あんな所に人が住んでいるのかという状態で、無医村でもあるし、孤立した地域だったんです。それが、1972(昭和47)年にこの先の雲見まで国道136号線が開通してですね。温泉も湧出したし、お客がどっと来て、観光にシフトするようになったんですね。石部地区100戸のうちに46軒の民宿が開業するに至りましたよ。それまではピッカピカの棚田だったんですけども、10アール20アールの米を収穫するには、民宿でひと晩ふた晩稼げば買えるわいということで、減反政策と相まって、(棚田は)捨てていかれたんですよね。民宿の最盛期は、地域が非常に潤ったんですけどね。それが、バブルが崩壊して観光客は年々減少の一途を辿り、1993(平成5)年ごろになると、休廃業の民宿が相次いだんです。地域に暗雲が立ち込める状況の時に、県と町から棚田復元の話が来たんですよね」

このまま何もしなければ地域は沈んでいくと危機感を持っていた区長の周藏さんは、1999(平成11)年の石部地区年頭総会で棚田の復元を提案した。

|「採算性は合わないかも知れないけど、棚田を復元して、棚田オーナー制度をとって、都会の人びととの交流の場として、地域の活性化はできないだろうか」

周藏さんの提案に賛成する住民もいたが、困難や不安を理由に半数以上が反対の声を上げたのだという。

|「棚田は採算が合わないんでやめていったのに、何で今更こんなことやるのって反対するし、オーナー制度って言っても、オーナーなんて来ないよという発言もあってね。それで、一回の総会で結論を出すことは当然できなかったですよ」

周藏さんは、その後も総会を重ねて、半年後に「じゃあやってみようかってことになりましてね」と、みんなの賛同を導き出すことができた。

|「非常に勇気の要る決断だったですね。成功するという保証は全然ないですからね。棚田の地権者24人に、復元するまで区で頑張るからとお願いしましたらですね。地権者のみなさんは、先祖に申し訳ないと思いつつ、田んぼを荒らしてしまった自分たちの力ではどうしようもないよと、4.2ヘクタールのエリアを提供してくれましてですね。まあ、半端な気持ちじゃできなかったですね。それで、石部地区棚田保全推進委員会(通称:棚田保存会)を立ち上げて、規約を作ってですね。非常に苦労したんですよ」

一旦荒れ地になっていた棚田を復元するには、相当の努力が必要だった。農林水産省の補助事業である「ふるさと水と土ふれあい事業」制度を利用して、それまでは徒歩でしか行けない石畳の道だけだったが、軽トラックが通れるように農道を整備し、休憩施設や水車小屋、トイレを設置して都市住民との交流を活発化する施設も充実させた。しかし、何と言っても、心強く嬉しかったのは、それまで反対していた人びとも含めて石部地区住民が総出で棚田復元の労働に出てくれたことだったという。

 

 

 これまでに発行された季刊新聞「リトルへブン」のWeb版を読むことができます。

 

Supported by 山田養蜂場

 

http://www.3838.co.jp/littleheaven/index.htm

Photography& Copyright:Akutagawa Jin Design:Hagiwara Hironori Proofreading:Hashiguchi Junichi

WebDesign:Pawanavi