2016年(平成28年)5月・初夏47号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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雅雄さん宅を失礼する頃は、目の前の水田はすっぽりと霧に覆われていた。人影は見えないが、霧の中から農機具のエンジン音だけが響き、アマガエルの鳴き声が四方から迫ってくる。やがてエンジン音のする方向から、背中に機械を背負った男性の姿がぼんやり霧の中に浮かび上がってきた。

|「元肥といって土作りの肥料ですね。これを撒いてからもう一回、植代を掻いて、それから田植えですね」

水島剛(みずしま つよし)さん(49)は、軽トラックに積んだ粒状の肥料を何度も背中の機械に補充しながら田んぼの畦を行き来している。キビキビとした剛さんの動きに、どうしてもこれだけは今日中に終わらせたいという切実な気持ちが伝わってきて、声を掛けるのも憚(はばか)られた。

翌日は、晴天だった。雅雄さんに聞いた中津河集落を訪ねてみると、すでに田植えをしている家族がいる。太田敬富(おおた たかとみ)さん(63)の一家だ。

|「うちが一町歩田んぼやりよるけど、他より田植えは早いね。何年か前は、田植えしよったらヒョウが降ったことがありましたね」と、田植機を運転している敬富さん。津山市から手伝いに来ている長男の孝(たかし)さん(42)と妻の時子(ときこ)さん(70)が苗を運ぶなどを手伝い、農業を継いだ二男の正明(まさあき)さん(39)は田んぼの反対側で、田植機が乱した土をならしている。

|「今日中に田植えを終わらせようと思ったんで、昨日、苗が届いてちょびっとだけ植えたです。明日も天気が良いらしいので、機械を洗うて終わらせようと思うてね。早くに田植えをすると、草刈りせずに田植えができるんです。寒いせいかね。一回分、草刈りが助かるんです」

納得の作戦だ。それだけ畦の草刈り作業は大変なのだろう。

敬富さんの運転する田植機に向かって、時子さんが右へ大きく手を振って、真っ直ぐ進んでいないことを伝えている。

|「田植えしたら、やれやれじゃなくてね。後は水の管理があるからね。今日は良い加減に水が入ってるけど、水が多いと液肥が無駄になるし、水が少ないと苗が埋まりにくいし、田植機の爪が痛むようになるしね。(田植機で上手く植えられなくて)苗がないところは、手で植えないかんし、草が伸びれば刈らないかんしね。これから一週間くらい掛けて、植えていくんです」

田植えが終わったら家族旅行へでも行くのかと思っていたが、そんな呑気なものではないらしい。それに、田植機が苗を田んぼに差し込んだ瞬間、同時に液肥も与えているという仕掛けに驚いた。

翌朝、太田家を訪ねると、すでに田植機はすっかり洗い終わり、孝さんと正明さんが買ったばかりの新車のように拭き上げていた。翌年まで使うことのない田植機は、使用後の扱い一つでの耐用年数が変わってくるのだろう。

自宅前の道路で小椋勤(おぐら|つとむ)さん(67)が、真っ赤なトラクターにホースで水をかけて洗っている。数日後に田植えを予定し、植代掻きを終えたばかりなのだ。日暮れ前の青空を水面に映し田んぼが輝いている。岡山県苫田郡鏡野町上齋原(かみさいばら)地区赤和瀬(あかわせ)集落を抱く中国山地の新緑が綿毛のように輝く。黄色っぽいふわふわとした芽がナラの木、所々ちょっと濃い緑に見える芽はブナの木だ。

|「ここらまだ植林が少ないでしょ。ですから新緑と秋の紅葉は綺麗ですよ。それから歌にあるじゃないですか、煙たなびく……いうて、あれになるんです、実際に。あの山の中腹の炭窯で炭焼きしよるでしょう。そしたら、朝起きてみると炭焼きの煙が、山の中腹ぐらいをずーっと流れていくんですよ。それで手前が赤和瀬川ですから、川の霧がありますからね。そりゃ綺麗です。ここら住んどっても感心する時がありますね。それから星が綺麗ですから。星はやっぱり寒い時が良いですね。ただ上を見上げてね。夏場は天の川がくっきり見えます。私ら星のことはよう知らんけど、北斗七星がはっきり分かりますから。それをじーっと風呂上がりなんかに見とんです、灯が無いとこで。流れ星がぽーっと流れていくんです」

トラクターを洗い終えた勤さんと並んで2人、優しい新緑の緑に覆われた中国山地の山々に魅入っていた。ここは標高約700m。連なる中国山地の山々の頂きにほど近く空の開けた盆地だ。5月中旬、赤和瀬集落の人びとは田植えと山菜採りで大忙しである。

いつもは早朝に行くというのを無理にお願いして、夕方から勤さんのスズノコ採りに同行させてもらった。

背よりも高く壁のように立ちはだかるスズタケ(別名・ネマガリタケ)が群生している中へ、何の躊躇もなく勤さんは潜り込んで行った。腰には熊避けの鈴を2つぶら下げ、大きなポケット付きの厚地の前掛けを締め、背中には黄色いリュックサック。冬の間、雪に押し潰されていたスズタケは、雪解けと同時に一気に上を向いて伸び始めている。太い指ほどの竹が地表からびっしりと立ち塞がる中をかき分けるように背を屈めて前へ進む。もちろん視線は竹の根元に伸びている筍へ。スズノコを見落としてはならない。スズノコを見つけ、その根元に手を掛け軽く捻ると、気持ち良くポキッと折れる。群生するスズタケの中を泳ぐように両手でかき分けて前へ前へと進んで行く。勤さんの姿が次第に遠くなる。写真を撮っている場合ではない。とにかく勤さんの姿を見失わないよう無我夢中でスズタケの中を泳ぐ。

|「雪の重みで押さえられてた竹が伸びよる訳ですから。根っこが曲がってるのでネマガリタケとも言うんですね。鹿が飛び出してきたこともありましたよ。動物のねぐらになっとるんです。ここはある程度傾斜があるけん、だいたい分かるんですけど、平な所だと、採るのに一所懸命になって、とんでもないとこに出たりしますよ。あと10日ほどは、まだ採れますね。今朝行ったとこは、イノシシが食べとったですね」

四方を竹に囲まれたまま右往左往していたため、どの方角から竹藪に入ってきたのかさえも分からなくなっていた。わずか30分ほどで「日が暮れるから帰りますけ」と、勤さんが方向転換して移動し始めた。勤さんの目は、あくまでも根元のスズノコを探している。恐らく勤さんは、目ではなく五感で自分の位置を確認し移動しているのだ。竹藪の外に出ると、すでに夕闇だった。勤さんの前掛けのポケットには、両手では持ちきれないほどのスズノコが入っている。

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 JR津山駅の道路を挟んだ向側にある「津山広域バスセンター」から中鉄北部バス(Tel.0868-27-2827)石越行に乗車し、「上齋原」で下車。1日5便(土日祝日1日3便)。片道料金1170円。

 「上齋原振興センター」からトロリンバス(町営福祉バス)に乗車し、「赤和瀬」で下車。1日5便(土日祝日1日3便)。料金は福祉バスのため無料。町外者も乗車できます。

新緑の山を背景に田植機を運転する敬富さん

田植機が通って乱れた泥をならす時子さん

苗の水分補給をする孝さん

赤和瀬集落と、峠を越えた隣の中津河(なかつこう)集落とを合わせて31戸。この31戸が、上齋原地区の6区である。区長を務めるのは、小椋雅雄(おぐら まさお)さん(69)だ。自宅を訪ねると、動力付き草刈り機の刃を手入れしている最中だった。10日ほど後に田植えをする予定で、その前に畦の草刈りをしなければならないと言う。

 「一番どん詰まりで一番の県北じゃけん。山のてっぺんに上がり切っとるけん。開けとってええとこじゃ言うてくれるけど、ええとこじゃけど雪は降るぞ。雪はすごいんぞ、言うてやるんよ。中津河は9戸あるけんな。ここは木地師の村で、31戸のうち小椋姓以外は7、8軒じゃな。木地師の後は炭焼きじゃったわな。冬はもう、ここらにおる人はすることねえわの。みんな炭焼きをやってな。子どもでも炭焼きに付いて行きよったよ、百姓もでけんし。昭和30(1955)年に人形峠にウラン鉱が見つかって、それから後、ここの集落の人は皆、原子力の方へ働きに行きよったけんの。今ごろは、勤めに行かんと食べられんけん。天然ウランを濃縮しとるだけで、核分裂はしとらんのやけど。初めは掘るやつに行きよったけん。今でこそええ道があるけど、昔は道がないとこじゃったけんの。原子力機構が来てから道を造ったけん。電源三法の交付金をよけくれよったけんな。村(旧上齋原村)に25億ずつ3回くれたんじゃ。それまでは雪掻きするタイヤドーザーいうんか、あれが村に1台しか無いんじゃけ。向こうの谷を済ましたら、こっちの谷いう具合やけん。いつ掻いてくれるんな言うて、一週間ぐらい待たないかん。20年ぐらい前は、そうじゃったで。ほんま大変じゃった」

木地師が造った大盆を持つ小椋美智さん

今年は雪が少なく薪の消費が少なかった

早朝の赤和瀬川上流

タンポポの綿毛が夕陽に輝く

空の広い赤和瀬の田んぼの真ん中で煙が上がっている。小椋真由美(おぐら まゆみ)さん(50)が、田植機を運転している夫の実(みのる)さん(54)へ苗を運びながら刈り取った畦の草を燃やしているのだ。

|「刈った草を放置しておくと、その下にモグラが穴を掘って水田の畦に穴を開けたりするのと、次の草刈りの時に絡んでくるのでね」

一つ一つの作業に、それぞれの理由があるのだ。田んぼの反対側で田植機が乱した土をならしている若い女性がいる。「娘の安希子(あきこ・23)です。大学6回生で手伝いに帰って来てくれているんです」と、真由美さんがちょっと誇らしげに教えてくれた。薬学部の学生で、来春は卒業なのだ。

田植えが終わってから安希子さんに「農業は楽しいですか」と聞くと、ちょっと間があってウンウンと頷き「大変だけど……」と言う。それを聞いた真由美さんが「先祖代々残してくれた田んぼだからね」と、安希子さんを笑顔で見やる。その口調から「田んぼは先祖から受け継いだ大切なもの」と、普段から話している様子が伝わってくる。

真由美さんの父親と弟も手伝いに来ていた。機械化が進んだとはいえ田植えは、やはり特別な農作業なのだ。6反余の田植えが午後5時ごろには終了した。

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