2016年(平成28年)3月・春46号

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私は、昭和10(1935)年生まれなんやけど、遊ぶとこがないからね、ここに、よう遊びに来よったんです。子ども時分の遊びいうたら、ママゴトしたりね。ここのとこにね、お店があったんですよ。一寸したお菓子とか、皆、買いに来てはったみたいですけどね。あの時分は、怖いぐらい大きな樹に見えたけどね。小っさい時分やからね。

ここは砂地で、ものすご砂がいっぱい、きれいな砂があったんですよ。今は、柵があって入られへんけどね。砂地の中にね、穴がぽっぽっぽっと開いとるんですよ。ここに虫が居んのやわいうことで、虫はずっと下がってるからね。私ら、虫を捕るのにね、意味も判らんと「おこもはん出ておいで」とか、唄うように言うてね、砂を掘っていくんですよ。そしたら虫が出てくるんですわ。その虫がアリでもないのやけどね、こぽっとして、背中に筋があるから、ほんまの亀みたいな、亀じゃないけどね。そういう虫が居たんですよ。それ捕るんが面白いもんやで、また、ここにもあったわい言うて、「おこもはん出ておいで」って唄うんですわ。何にもするもんもないしね。オモチャもなければ何にもない。

昔は、そん中入ってもかまへんかったからね。小学校行ったか、行かんぐらいで、5、6人が遊びに来ては、お茶碗の欠けたのやら持って来て、ママゴトしたりね。小っさい時の遊びは、そんなんしてたんですよ。行くとこないからね。もうちょっと大きなったら、自転車の稽古するとかいうのは、昔はお寺行ってたんですわ。今はもう、お寺に遊びに来いとも言われへんけど、昔は、お寺で遊ぶのが当たり前になってたんですわ。そやから、自転車の三角乗り、そんなんするのも、上には乗れへんから、自転車の稽古はお寺でさしてもろてたんですよ。

私の実家は、久保商店いうてね、歩いても10分も掛からへん、もうついそこなんですけどね。私は7人兄姉やし、隣の人も6人兄姉やし、兄姉多かったからね。遊ぼかいうたら、私らの年代のもんだけで、ここに遊びに来たりね。女の子も男の子も一緒一緒、そんなもん小さいから。上のもんとは遊んでもらわれへんしね。しやから、姉なんかに隠れて付いて行こう思うたら、叱られとったけどね。

その時分一緒に遊びよった男の人から、3年前に、その時分からあんたが好きやったん言われた。へぇーっ、何十年前や言うてね。それも近所の人やけどね。そない言われてびっくりしたんのや。えーっ、そんなん、顔しょっちゅう見とったのに言うたら、いやーっ、もう好きやったんけど、素知らぬ顔しとるし……。今ごろになって、もう70歳超えてからにもなって、好きやったてかい。そんなん言うて、笑ろたことあるんですけどね。

結婚したのが、大ケヤキの横に信号ありますやろ、そこの横なんです。私、昭和30年に結婚したんですけど、文金高島田の花嫁姿で、ここの家まで歩いて来たんですよ。今みたいに式場がある訳じゃなしね。昔は、そんなんでしたんや。みんながゾロゾロ付いて来たって。

結婚式が終わったら、「三日帰り」いうて、歩いて実家に帰りました。昔は、式が済んだら、その日のうちに親元へ挨拶に行くんです。そやから、嫁ぎ先に戻るのは晩遅うになります。帰ってきても、お客さん、どんどん居らはりましたね。未だに笑うのやけど、もう、主人は……。主人のお父さん、35歳ぐらいで死んではるからね。そやから、主人、苦労してるから、自分が何もかも、嫁さん来るまでの段取りやら皆せないかんからね。おばあさん(姑)は、いたはったけどね。そやけど、30何歳で(夫が)死んではるから、おばあさんも住み込みで勤めてはったしね。なんや、色々な苦労してはって、そいで、昔は、結婚したら夜通し飲んだり食べたりね、したはりますやろ。

|「三日帰り」で行って、こっち帰ってきた時、まだ平田家には、お客さんいっぱい居て、飲んではりますやん。ほんなら、もう、主人は、疲れて、自分が親代わりで何もかんもしたもんやから、モーニングいうのんか、それ着たまま寝てしもてるし、私も、今だに笑うのやけど、私がトイレに行きたくなり、どこにあんのかわからへんし、ここかな思うて開けたら、押し入れやったん。外では皆騒いではるし、女の人は、お手伝いの人はね、竈で何やかやしてはるし、ちょこんと(主人の)枕元に座って居ったやん。そんなしとったら、ちょうど主人の伯父さんが、何気なしに部屋をパーッと開けはったんね。そしたら、もうお母はん、疲れて寝てしもとるし、お嫁さん可哀相にちょこんと座ったままやないか言うて、「満穂(みつほ)起こせ」言わはったんは、何や薄ら覚えとんのやけどね。

息子がね、昭和32年にできてんのやから。その子が青年団で盆踊りする頃、ここでね、あの大きな樹の周りに3重ぐらいになってね。それぐらい青年団が多かったです。こっちで娘さんがラムネ売ったりしてはったね。

しやから、その時分は、ほんまに樹のことなんか傷むとか、そんなん思うてへんし、最近になってからですよ、ヤドリギが付いたり、樹も傷んできたりして。こないだから一か月掛かって、上から全部、樹医の人が4人とか5人とか手入れしてくれはりましたけど。だいぶ傷んでる言うてはったけどね。

前には、この樹を、5軒ほどの人が守ってはったんですよ。嫁に来たときに、伊勢講いうて、毎年ここへ参って、それから家参りやから、家でご飯こしらえたり、色んなんしてたんですよ。樹の注連縄も5人で、あんだけの注連縄を、毎年。主人が亡くなった17年前まではね、12月になったらね、主人やらがしてましたわ。他の人が皆、主人より早よに死なはったからね。主人ひとりで掃除しに来たりね。どこへ行きはったんやろ思うたら、また、蟻無(ありなし)いうぐらいね。ほっとかれへん性格やったんやね。蟻無いうのは、あん(柵)中だけやと思うんやけど、神社の前だけ。何で、ここんとこを蟻無、言うようになったんか知らんけど、蟻が来んようにとか言うて、砂を持って帰って、家の縁に置いといたら蟻が来ないとかいうので、それで蟻無や言わはるけどね。

長いこと野間の大ケヤキの傍で暮らしてきたけど、81歳の今ごろになって、こんな大きな樹やったんかなあ、パワーもろたら幸せになるんかなあ思うようになってな。私が「パワーの樹やで言いよる」って、近所では噂が立っとるらしいですわ。

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