2016年(平成28年)3月・春46号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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勢いよく回転する草刈機の丸刃が、菜花の畝を撫でるように空を切って左右に動いている。30センチほど伸びた菜花の花の部分が最初に切り落とされ、次に、茎の上部が、茎の中ほどが、根元が、という順に菜花が短くなり、畝の上に短く切られた菜花の茎が積もっていく。

3月中旬になっても寒風が吹き付ける大阪府豊能郡能勢町。若草色のウインドブレーカーを着た松岡大輔(まつおか|だいすけ)さん(34)が、夏野菜を植え付ける準備を始めていた。

|「自然の中で自然に育てる」をモットーに、農薬をまったく使わず、5年前からこの地で野菜を作っている。

|「耕さない。畑にあるものを持ち出さない、外から持ち込まない。土圧を抜いてバランスを変えることによって、地面下に閉ざされている土壌の水と空気が動き始めるのを基本にした農法なんです」

そう言うと、松岡さんは畝の菜花を1本抜き取って、少しずつ手で折りながら草刈機で畝を撫でるように刈取る作業の意味を説明してくれた。

|「いきなり根っこの所から切ってしまうと、1本の茎としてべちゃっと土を覆ってしまうので、風が茎を削ぐように短く何回にも分けて刈り取っていくことによって、そこに佇むような空間になって、ここの景観に適した形状で、この畝に茎を敷いてあげることができるんです」

なるほどとは思うが、理解できない。そんな私に松岡さんは、さらに続ける。

|「踏んでいる土の感触を汲み取って、この土壌がトータル的に何を訴えているのかを感じ取っていくことが大切なんです。植物の根っこの色や匂いを感じ取り、土を捏ねてみて、粘土っぽいか砂っぽいかを読み取り、有機物がどれくらい含まれているのかを判断し、畑に風がどう通っているのかなど色々な要素を考え、できるだけ人間の力を加えることなく土壌の力を引き出してやる。そんな農法なんです」

|草刈機で細かく刻まれた菜花の清々しい香りが漂ってくる。冷たい北西の風が吹き付けてくる日暮れ近くなって、菜花を切る作業が終わった松岡さんは、三又鍬を大きく振り上げて草と菜花に覆われた畝に打ち込み、柄を前方にグイッと押し倒して土を起こす作業を続けた。畝の土を反転させるのではなく、畝の中に空間を作ってやる感じの作業である。

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「景観に適した形状で畝に敷いてあげる」と松岡大輔さん

風が茎を折っていく様子を説明する松岡さんの手

薄竹を被せ、空気を取り込む畝の穴に水膜ができるのを防ぐ

自然農と言われる農業を実践している松岡さんは、東大阪市の出身で、結婚を機に能勢町に移住してきた新規就農者だ。能勢町は、大阪や京都の都市部から40キロほどしか離れていない。コンクリートに囲まれ時間に追われる都市の暮らしに疑問を持ち、自然の中で農業を営みたいと願った新規就農の若者たちが、現在20名余り移り住んでいるという。その多くが農薬や化学肥料を使わない有機農業を営む30歳代の若い世代だ。

竜王山(462m)の谷を流れる田尻川に沿って、県道106号線が走っている。能勢町下田尻地区は標高200メートルほどの農村地域だ。松岡さんが作業をしていた畑から県道を横切ると北西に向かって農道が延び、その左右に緩やかな傾斜の棚田が連なっている。

その棚田の下の2枚を畑にして夏野菜の植付けの準備をしているのが馬郡崇史(まごおり|たかし)さん(40)だ。夏野菜の準備といっても、ビニールハウスを設置していない馬郡さんの畑では、3月中旬でも寒さが厳しく、今できることは少ない。馬郡さんは谷を吹き下ろしてくる寒風に耐えながら、中古で購入したトラクターの刃を付け替えていた。

|「昨夜の雨で畑はじるい(ぬかる)し、畑が乾けば取りあえず大根の予定です。それ位しか思い付かなくて、後は、キュウリ、ナス、オクラ、ピーマンですかね。5月終わりには、保温用の不織布を掛けている実エンドウが収穫できます。何も得ていないのに、3年経ってしまったって感じですね。ここに来て、自然農法とか有機農法とかを当たり前のようにやっている人が多いので、普通の農業をやってる自分が後ろめたい気持ちになりますね」

馬郡さんが農業を始めたのは、わずか3年前。それまでは食品関係の営業をしていた。

|「サラリーマン時代は、風呂に入るためだけに家に帰って、又、出勤するような働き方をしていて、そこまで働くなら自分でやった方がええなあと思うようになって……。自分でそうやってしまう性格なんですね。最初は兵庫県の農家で研修を受けて、その後、能勢町倉垣地区の原田富生(はらだ|とみお)さん(61)の農場で研修させてもらって、それが縁で能勢町で農業をすることになったんですが、まだ、何もできてないんです。農業の本を読むと、サラリーマンが嫌だから農業をやると言うような人はだめですと書かれてあるけど、ぼくはそれやなと思いましたわ」

馬郡さんは、大阪府池田市の実家から40分ほど掛けて毎日通っている。翌日は、同じく研修を受けた先輩の吉村次郎(よしむら|じろう)さん(38)がハウスにビニールを張る作業を、研修仲間たち6人で手伝いに行く予定だと聞いた。

翌朝は、晴れて暖かい春日和だった。吉村さんは、原田さんの農場で研修した後、同じ倉垣地区で独立し、新規就農して12年になる。ビニールハウスで夏に出荷するためのトマトの育苗中だ。

|「夏は、全部トマトです。今年の苗は、苗屋さんから仕入れた苗で、自分で一個一個丁寧に作ってないからヒョロヒョロっとしてますね。写真も撮ってほしくないほどやけど」

吉村さんは長い間、農薬を全く使わないで農業をやってきた。

|「最近は、農薬を少し使うようになりましたね。普通の農業で使う農薬の半分以下で、『大阪エコ農産物』に認証される量ですけど、これまで全然使ってなかったので、少しだけど農薬を使う効果は全て説明できますね」

無農薬で化学肥料を使わない農業は、職業として同じ畑で作物を作り続けるには困難があったのだろうか。

もう1人、原田さんの農場で研修した今堀淳二(いまほり|じゅんじ)さん(36)の畑を訪ねると、ゴボウを植えるための畝を作っている最中だった。高台にある今堀さんの畑は見晴らしが良く、この日のような春の日は、周囲を眺めているだけで晴れ晴れとした気分になる。今堀さんは能勢町で農業を始めて5年余りだ。

|「新規に農業を始めるのは思っていた以上に大変でしたね。道具類は鍬一つから買わないかんでしょ。結構大きなものが要りますから、苗床のハウスも車もないとできない。物が要るというのが大変でした。農家の2代目やったら田畑はあるし農機具はある。新規就農者は何にもないところからやらないかんのですからね。無農薬で化学肥料も使わずやってますわ。やった分だけのことしかないけど、やった分のことはありますから。ぼくは生き物がすごく好きなんで、気持ちが充実してますよね。以前は街でサービス業をしてましたけど、神経磨り減らして1日が終わる。もうそこには戻れないですわ。自然の中で仕事していると、ぼくらも自然体で居られますね」

今堀さんが借りている畑は、元は田んぼに使っていたため、水漏れを防ぐ田床が浅く、ゴボウを作るためには畝を高く盛り上げてやらなければならない。今堀さんは「ウッ、ハァ、ウッ、ハァ」と大きな息を吐きながら、畝の土を鋤で盛り上げていた。

6年前に母親を亡くした今堀さん。命について考え続けていると、「実体は無くなっても、自分の気持ちの中に居てたら生きてることだと思うと、命の繋がりを感じて母の死を受け入れることができるようになりました」と言う。「農業をしよう」の広告をハローワークで見て「命の存在を大切にして生きていこう」と、決断したのだ。

今堀さんが能勢町で農業を始めた理由は、「都市に近いことと、原田さんの存在が大きいですね。地域に馴染む入口ですから」と、説明する。

いよいよ原田富生さんに会わない訳にはいかない。田んぼだった農地を畑にするため、ユンボで水はけの溝を掘る作業をしていた原田さんを訪ね、畦に腰を下ろして話を聞かせてもらった。

|「公務員的な仕事が選択肢としてはあったけどね。うちは農家やから他へ勤めに行くのもね、いやでしょう。(自分で農業やると)誰にも文句言われやせんやないですか。うちを訪ねて来る農業研修生には、基本的には止めときなさいと言います。皆が止めていく職業なんやから。やる気がある子が来てくれるから、こっちも世話しますけどね。ぼくは何も伝えませんよ。鍬の使い方なんかは自然と覚えていくでしょう。ほとんど全部人まねですから。米作りなんて、基本的には江戸時代から変わりませんから。種蒔いて植えて……。農業はセンス要りますよ。土や作物と何時間向き合うかということでしょう。毎日毎日、顔見てやってる方がちょっとした変化に気付いてやれるでしょう。後は、おてんとさん(御天道様)が何とかしやはるからええけど……」

原田さんと2人、田んぼの畦に寝そべりながらゆっくりと話していると、暖かな春の日射しの心地よさも手伝って、「後は、おてんとさんが何とかしやはる」の言葉が実感を持って伝わってくる。これまで原田さんを訪ねた研修生たちも、原田さんが醸し出すゆったりとした時間の流れに魅了され、「毎日毎日、顔を見てやる」農業の極意を得たのだろうか。

夕方遅くなって、馬郡さんの畑を訪ねる。彼は、畑の中の小石を拾い出していた。

|「石を拾って、後はできることを祈るしかないんで。モミ殻を畑に入れましたけど、これが畑の土になるには何年掛かるのか……。田んぼの泥が、どないしたら土になるのか……」

馬郡さんは自然界の悠久の時間と向き合い思考している。農業を考えることは、地球の時間を考えることのようだ。苗床を作るためのビニールハウスを持たない馬郡さんは、朝夕冷え込むこの時期、まだ夏野菜の準備をすることができない。実エンドウの蔓を絡めさせる棒を1本1本布で拭き続けているうちに、とっぷりと日が暮れてきた。

棚田の上の方で、暮れかかった農道に人影が見える。百々光子(どど|みつこ)さん(72)が、農道に沿って張り巡らせている防獣ネットを修復していた。この日の早朝、ネットを飛び越えようとした鹿の脚が引っ掛かり、コンクリート3面張りの川に落ち込んでもがいていたそうだ。地元猟友会が鹿は始末してくれたが、傷んだ防獣ネットは持ち主が修復しなければならない。農道には、血痕らしき黒い染みが幾つも落ちている。

吉村次郎さんが育苗しているトマトの苗

新しいビニールハウスの仕上げをする吉村さん

ユンボを使って畑の溝を掘る原田富生さん

寒さで夏野菜の準備ができないと、

馬郡崇史さん

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