2016年(平成28年) 1月・冬45号

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今年の初嫁さんは、猪股由美子(いのまた ゆみこ)さん(34)だ。義父の栄幸(ひでゆき)さん(69)と義母の喜代子(きよこ)さん(64)と一緒に玄関脇の座敷に並んで座り、神妙に神様の御出を待っていた。玄関から座敷まで青いシートを敷いて、神様の一行がつまご草鞋を履いたまま座敷に上がってきても構わないように準備してある。手桶を提げた神様たちの先回りをして、若者講の数人が庭の焚き火に当たっていた。誰かが「墨を準備するのを忘れた。墨、墨」と慌てている。「ワラを燃やすべ」と、急いでワラ束を焚き火に突っ込んで燃やし、初嫁の顔に塗る墨の準備ができたところに「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声、手桶を提げた神様の一行が走り込んできた。そのまま初嫁が待っている座敷に直行だ。

神様が差し出した盃に口を付けた初嫁の由美子さん。「ああ、美味しい」とひと言。神様の一行は聞き逃さない。「あ、美味しいと言ったぞ」。

午前6時が近くなると、八幡神社境内に地区の人が集まり始めていた。「焼け八幡」は、どんど焼きと同じように正月飾りを御小屋の中に入れて焼き、一年の火難除けと五穀豊穣、家内安全を祈願する祭なので、正月飾りを持って八幡神社にお詣りし、御神酒をいただく。若者講の神様たちが到着すれば御小屋に火が点けられるので、それまでの僅かな時間を地区の顔見知りと闇の中で立ち話だ。

|「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声が段々近くなる。若者講の神様たちが八幡神社社殿まで駆け上がると同時に、若者長の今朝雄さんが御小屋の周り数か所に火を点けて歩いた。御小屋を覆っていたワラが炎に包まれていく。わずか2、3分で御小屋は大きな炎を立ち上らせ、八幡神社の境内を赤々と照らし出している。御小屋の大きな炎に手をかざし暖を取る若者講の神様たち。神聖な炎をひと目見ようと早朝から八幡神社に参拝してきた地区の人びと。誰もが無言でじっと炎を見つめている。竹の弾けるパーンという大きな音が、時折闇に響き渡る。パチパチとワラの燃える弾け音は、次第に小さくなっていく。

御小屋はわずか10分余りで焼け落ちた。燻る炎に照らし出された骨組みの丸太が、辛うじて御小屋の原形を留めている。参拝に来ていた地区の人びとや若者講の神様たちも、三々五々帰路に就き始めた。辺りに参拝者は誰も居なくなった。若者講の役員や地区の長老たちが、残り火を見守るように取り囲んでいる。パチパチとワラが弾けて燻り続ける残り火が、タオルで頬被りをした若者長の今朝雄さんの顔を赤く照らし出している。「まず、終わったな」。今朝雄さんがぼつりと呟いた。600年間も大切に受け継がれてきた新年の祭「焼け八幡」の責任者として、大役を果たし終えた今朝雄さんの安堵の気持ちが滲む。木立の間から空を見上げると、冬の夜が白々と明け始めていた。

 

一夜明けた柳沢地区は、雪化粧の朝だった。区長の文一さん宅を訪ねると、妻の裕子(ひろこ)さん(61)と一緒に牛舎の糞出し作業が始まったばかりだ。親牛15頭子牛10頭の世話は、毎日待った無しでやって来る。一旦、親牛をパドックに連れ出した後、敷きワラと糞を掬うように取り除いて堆肥小屋へ運ぶ。敷きワラを取り除いた後に、乾いた新しいワラを敷いてモミ殻を撒くと、フカフカの牛の布団が出来上がる。

|「食べてすぐ寝たら牛になると言いますけど、私ゃ、牛にそういう環境を作ってやりたいと思ってやってるんですよね。食べたらすぐに、フカフカのワラの上で寝られるようにしてやりたいんですよ」

文一さんが牛を飼うのに心掛けていることだ。

出産間近の母牛が居る。青森系統の牛で、伝説の種牛と言われる〈第一花国〉の種を宿す〈はな〉は、1月24日が出産予定日だ。大きな腹をしてゆっくりと歩いている。

|「大きくはなんねえけど、肉質が良いんさね」と、裕子さんが目を細める。「うちで13産までした牛おっけど、やっぱ後の方では歩くのが大変になったりしてね。毎年1産させっから」

牛を大切に飼うことと、畜産業として採算を取ることのバランスは難しそうだ。裕子さんが、パドックから敷きワラを新しくした牛舎へ1頭ずつ連れ戻していたが、見知らぬ私が近くに居るため緊張して言うことを聞いてくれない雌牛がいる。「〈ゆき〉なして、そんな風にすんの」。裕子さんは、子どもを諭すように声を掛けて手綱を引いている。

牛舎の外にある柵には、出荷前の子牛が繫がれていた。「あと2日で市場なんですよ。そろそろきれいにしないと」。文一さんが、敷きワラを入れ替えた後、縮れ毛の雄〈忠太郎〉と雌の〈みゆう〉にブラッシングをしている。普段はやんちゃ坊主のように好奇心旺盛な〈忠太郎〉だが、ブラッシングの間は気持ち良さそうに、じっと文一さんがするがままに任せている。

区長の文一さんへ別れの挨拶に伺うと、「天空の放射性指定廃棄物処分場建設候補地」と表題のある1枚の紙を手渡された。内容は深刻で、書き出しは次の通りだ。

|「この地点は奥羽山脈でも海抜が低く、9月中旬から翌年5月中旬まで強い西風が通り抜ける場所です。ここで燃やす8000ベクレル超の、放射性指定廃棄物の煙は、加美町、大崎市、美里町、石巻市に拡散されることでしょうし、梅雨時期の北東風(やませ)は最上町、尾花沢市など山形県北部に広がって行くことでしょう」

書き出しの「この地点」について、具体的な地名は書かれていない。文面から推測するに加美町の田代岳を指しているようだ。この文面では、声高に絶対反対を叫んではいないが、古くから伝わる地区の伝統行事を大切に守り、自然と共に暮らしてきた柳沢地区の人びとに大きな異変が起きようとしていることが伝わってくる。私が、この数日間滞在させてもらった柳沢地区の人と歴史と自然の魅力は、代替することのできない固有の魅力なのだ。その土地を守ろうとする柳沢の人びとに共感し、力になりたいと願った。

墨を塗る神様たちの手が勢いを増し、初嫁の顔に次々と迫っていく。初婿の重光(しげみつ)さん(38)も、若者講の一員として家々を巡っている裸のまま、初嫁の隣に座って墨塗りを受けている。栄幸さんと喜代子さんも黒い顔してニコニコと嬉しそうにしている。|「昔から比べたら優しいもんだ。私が嫁に来た頃は、おっかなかったもん。ここに馴染んでもらえるようにね」と、喜代子さん。舅姑嫁が、お互いの顔を見合って大笑いだ。由美子さんも解き放されたように大きく口を開けて笑っている。

|「びっくりしましたけど、思ったよりも怖くなかったです。(この行事が)これからも続いていけばいいかな。こういうことは、他でできないですから」

初嫁の由美子さんは、墨塗りの洗礼を受け、晴れて柳沢地区の一員となれて嬉しそうだ。再び「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声は闇の中へ遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

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