2016年(平成28年) 1月・冬45号

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数十年ぶりの暖冬と言われていた2016年の幕開け。宮城県加美郡加美町柳沢地区も例年ならば膝近くまであるはずの積雪が見当たらない。夜の間に降った雪は、薄っすらと田畑に積もるが、昼前には溶けてしまう日々が続いていた。

1月9日(土)の午後1時、ひと抱えほどのワラ束を背負った男たちが4、5人ずつ、S字に曲がった急坂の八幡神社参道を上ってきた。「今年は雪が降んねえから良くないべ。ケガすっからね」。細い参道を歩きながら声を掛け合っているのが聞こえてくる。いよいよ「焼け八幡」の始まりだ。この日は、「御小屋(おこや)掛け」と呼ばれる本番前の小屋作り行事だ。取り仕切るのは柳沢地区の若者講。その責任者を「若者長」と呼び、今年は、千葉今朝雄(ちば けさお)さん(61)が務める。

|「成人の日が日曜日にくっつくようになってから、焼け八幡を土曜日、日曜日にするようになったけど、それまでは14日と15日にやってました」

柳沢地区ではほとんどの若者が、勤めに出ていたり近くの町で暮らしている。地区の行事は、休日に実施せざるを得ないのだ。

|「仙台に焼け八幡ってあんの。あれが本物なの。結局、伊達家に負けた子孫だから、うちらは」。猪股一男(いのまた かずお)さん(73)が、600年続いてきた「焼け八幡」について教えてくれる。神社入り口の標柱によると、柳沢の八幡神社由緒には「大崎氏の家臣笠原氏が柳沢に築城すると共に鎌倉八幡をここに祀ったと言われている」とある。

若者講主催だが、参加は柳沢地区41世帯の一家に一人は参加するのが決まり事だ。

●取材地の窓口
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社殿後ろの土手で、猪股守美(いのまた もりみ)さん(83)と千葉忠一(ちば ちゅういち)さん(76)の2人が、参加者が担ぎ上げたワラを縄で束ねて括り付け、ワラ灯籠を作っている。

|「1年12か月あるから普段は12俵を括るけど、今年は閏(うるう)があるから13俵やな」と、守美さんが説明しながらワラ束を捻って13束の固まりにしていく。

ワラ灯籠を作るのは、毎年、守美さんと忠一さんが係と決まっているようだ。辺りを見回すと、社殿脇の平らな場所では、横に並べた一握りのワラ束を縄で括り、社殿東側に作る御小屋を覆うためのワラ束の準備をしている。

事前に役割分担があったのか、自然と決まっていくものなのか分からないままだが、幾つもの作業が同時進行で進められている。

御小屋を覆うワラ束を繋ぎ合わせていた柳沢行政区長の千葉文一(ちば ぶんいち)さん(65)が、「おっ、来たか」と若者を迎えた。一家に一人の分担を果たすため参加していた文一さんと交替するため、仙台市に住んでいる長男の康靖(やすのぶ)さん(39)が来たのだ。息子の姿を見た文一さんは、さっそく腰に付けていた山鉈を外して康靖さんに渡す。山鉈を腰に付けていることで、出役の一員となるようだ。

|「焼け八幡は神事ですので、不幸があったりしたら参加を差し控える人もいます。49日法要を済ませた家の人には、祭の間に何ごともないようお祓いをしてもらって、できるだけ参加するようにしないと小さな集落で人数が足らなくなりますから。そのお祓いが、昨日の夜あったんです。ほったらもの止めたらいいべ、と言うようなものではないですから。地区行事を日曜日に移して、何とか皆さんが参加できるようにしてるんです」

文一さんは、そう言うと急いで帰って行った。自宅で欠かせない牛の世話があるからだ。

今朝雄さんが先頭に立って建てていた御小屋は2時間ほどで出来上がった。すると、東側の丘から「ホマチ小屋に火を点けるぞーっ」と、声が上がった。御小屋前の狭い坂を抜けて声の方へ急ぐと、柳沢地区の小学生たち5人がホマチ小屋の傍らに集まって、火が点くのを待ち構えている。ホマチ小屋は子ども用の御小屋で、竹の骨組みにワラを被せた小さな三角形の小屋だ。若者講の係が火を点けると、ホマチ小屋はみるみる燃え上がった。子どもたちが万歳をしながら「ヨイサ、ヨイサ」と、何度も大声を上げている。ワラが燃えてパチパチと弾ける音が気持ちを高揚させる。

ホマチ小屋が燃え落ちる余韻に浸る間もなく、社殿横から声が掛かる。「ワラ灯籠に火を点けるぞーっ」。御小屋の前を抜けて急坂を上ると、吊されたワラ灯籠に守美さんが火を点けたところだ。今年の月々の天候を占い、五穀豊穣を祈願する神事「焼け八幡」の始まりだ。

鉄製の柱にワイヤで吊り上げられたワラ灯籠は、裾から炎がパチパチと燃え上がり、次第に上のワラ束に伝わっていく。若者講の面々を始め地区の長老たちや地元新聞の記者が社殿横に立ったまま身じろぎもせず、無言で見つめている。炎は、途中で勢いが弱まることもなく、一気に最上部の13俵まで包み込んだ。最後は、ワラ俵を繫いでいた縄も燃えたため、炎に包まれたワラ束が炎の固まりとなって「ボソッ」と落下した。近くで見上げていた数人が、「おおっ」と驚いて数歩退く。

|「御小屋に炎が移らんようにしとけよ」。明朝、燃やすことになっている御小屋がすぐ下に作ってあるのだ。「今年は、これまでにないくらいにきれいに燃えたな。サーッと燃え上がったもんな」。誰かが、感激して声に出す。若者長の今朝雄さんがこれから何と言うか、誰もが無言になって待ち構えている。ワラ灯籠の燃え具合で、今年の農作物の出来具合を占うことになっているからだ。取材に来ていた地元紙の記者が堪らず「今年はこれで豊作ですね」と、今朝雄さんを促すように声を掛ける。今朝雄さんが少々歯切れ悪く、「そういうことですね」と頷きながら小声で答えると、記者たちは納得したように一斉に引き揚げて行った。あくまでも「占い」と割り切れない責任ある今朝雄さんの立場になれば、安易に「豊作です」とは言い切れないのだろう。

若者講の面々も三々五々引き揚げ始めた。「焼け八幡」の前段を飾る「御小屋掛け」行事は終わったのだ。いよいよ日付が変わる深夜午前2時から、「焼け八幡」の本番が始まる。

柳沢地区の屋敷は東西に延びる県道159号線に沿って並んでいる。そのほぼ中央の四つ角から北へわずか進むと、右手奥に長泉禅院の本堂があり、手前は柳沢地区集会所となっている。

午前2時になると、集会所に若者講の面々が集まってきた。全員がアンサンブルの和服を着て首に白いタオル、酒造会社や農協の宣伝が入っている紺色で厚手木綿の前掛けを付けている。「こんばんは」「お早うございます」と、時間が時間だけに挨拶は微妙だ。「しげるさん、つよし、いさむさん、たかしくん、やっちゃん、とよぎくん、じゅん、かずまさ、した、しげみつ、みちあき、やす、けんいちさん、よういちさん……」。若者講副代表の堀川定男(ほりかわ さだお)さん(58)が、点呼を取る。「けんいちさん、来ねえべ」「こうやくんも来ねえか」。今年参加予定の16人全員が揃った時点で、車座になって座敷に正座。その中央に「お相伴」と呼ばれる2人が正座し、大鍋で燗した日本酒をヤカンで酌をする係だ。つまみは、大根と白菜の漬け物である。

|「漆塗りの盃を持って手を離しちゃいけないんです。日本酒を口に入れたら、そのまま喉に通す。味わっちゃたくさん飲めねえからね。2時間で7、8合は飲むな」「外に出っと、寒い言うもんでねえから、肉までしゃっこくなんだよね。昔の盃は塗らってねえからズタズタ酒が落ちんだもん」

猪股健悦(いのまた けんえつ)さん(62)が、若い者に昔の様子を話している。

全員の盃にヤカンから酒を注ぎ終わると、力強く一斉に「ヨイサー」と声を掛け、そのまま喉に流し込むように盃を飲み干す。正座したまま休むことなく飲み続けて2時間。

|「うちの冷蔵庫替えただけで、毎月の電気代が3000円も安くなったんだ」

 神事なので歌や踊りはないが、交わされているのは世間話だ。

さて、午前4時になり「お相伴」の時間が終わると、鉢巻きを締めて白パンツにサラシを巻いて、つまご草鞋を履いた若者講の面々が裸姿の神様となって、酒の入った手桶を提げ「ヨイサ、ヨイサ」と威勢の良い掛け声を掛けながら柳沢集落全戸を巡るのだ。

副代表の定男さんから「喪の明けてない家が4軒ありますから、入らないように」と、寒風の中へ裸で飛び出そうとする若者講の神様に注意があった。集会場を出て最初に目指すのは、火難除けと豊作を祈願する八幡神社だ。

若者長の今朝雄さんが、付いて行こうとする私に耳打ちしてくれた。

|「いい年に来ましたね。今年は初嫁が居るんです。初嫁さんの家で顔に墨付けしますよ」

2時間飲み続け、すでに相当量の酒が入っている若者講の面々は、手桶を2人で提げて松明を持ち、寒さに負けないように全力で寒風の中を走り抜けていく。八幡神社参道の急な坂道で「ああっ、足が……」と、四つん這いになっている神様もいる。この頃から小雪が舞い始め、路面が薄っすらと白くなり始めていた。八幡神社への裸参りを終えると、緒方三男(おがた みつお)さん(66)宅を皮切りに各家を巡り始めた。

|「神様が御出(おいで)になりました。ありがとう」と三男さんが迎えると、一行は、つまご草鞋を履いたまま家の中へ入り、手桶の酒を差し出して盃を交わし、風のように次の家へ移動して行った。一行を見送って、三男さんが奥の座敷に入ろうとしていた時、遅れて1人で走り込んできた板垣誠二(いたがき せいじ)さん(41)が「まだまだ、終わりじゃないよ」と、一升瓶を差し出した。三男さんが慌てて奥の間から引き返して盃を受けている。誠二さんは、20歳の時に初めて焼け八幡に出て、今年で22年目になるベテランの神様だ。

|「焼け八幡」の夜、柳沢地区の家々は寝ていることはできない。集落を猛スピードで駆け抜けていく若者講の神様たちは、闇に紛れてどこの家を訪問しているのか分からなくなった。「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声だけが遠く闇の中から聞こえてくる。

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