2015年(平成27年) 11月・秋44号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

極早生(ごくわせ)みかんの収穫はすでに終わり、晩生(おくて)みかんの収穫はまだ始まらない。そんなみかん収穫の端境期に勝浦町を訪ねた私に、早生みかんの収穫をしている農家があると情報が入った。坂本地区ではなかったが、町役場に近い沼江(ぬえ)地区の真木昭恵(まき あきえ)さん(60)だ。

昭恵さん宅の目の前は、石垣の築かれた畑が幾重にも連なるみかん山になっていた。昭恵さんが収穫しているみかんの木は、宮川早生という品種で鈴なりの実を付け風格が漂っている。

|「樹齢は、ごっついいっとると思うな。60年はいっとると思います。若木より古い方が味がええ、ほうよ。宮川早生は11月始めから12月10日ぐらいまで採るんで、晩生と交互に収穫することになるやけどな。うちは、早生が多いんよ、ほうよ。ここのみかん畑で一町(約1ha)ぐらいあるんよ。ほれと別に早生と晩生があるけんな。1反に早生やったら200本ぐらい、晩生やったらもうちょっと少ないわな。親から引き継いでな、ほうよ」

昭恵さんの仕事は、チョンチョンチョンと鋏の音がリズム良い。1本の木の実を全て採るのではなく、間引きするように採っていく。

|「色の悪いんとか変形は、後でまた採るんよ。上の方に生っとるのが味がええけん」

昭恵さんは、だんだん言葉数が少なくなり、目が真剣みを帯びてきた。

|「みかん作りは、やっぱり土やろな。あとは剪定と消毒やろな。剪定はどの枝伐ってええんやろ思うて、ようせんのよ。専門の人に任せとるんよ。とにかく透かしたらええ言いよるけんな。葉が20枚から30枚につき、実が一つ言われよんのに、この木は生らし過ぎとるんよ」

採り残した上の方に生っている実を採るため、昭恵さんは家から脚立を持ってきて、いよいよ収穫に集中し始めた。1本の木の収穫を終えて次の木の収穫作業に入る前に、昭恵さんは必ず一つちぎって食べている。

|「ちょっとキズしとるんとか、汚れとるとかな、そんなんを味見するんよ。それで美味しかったら、その木は(収穫して)ええんよ。きれいなんを味見するのはもったいないけんね、ほうよほうよ」

少し遅れて娘婿も収穫に加わった。少し離れた所で作業している彼の胸ポケットのラジオから、加山雄三の「旅人よ」が流れてくる。

曇り空が続いている。小雨もぱらつく。私が宿泊していたのは、閉校になった旧坂本小学校の校舎を利用した農村体験宿泊施設「ふれあいの里さかもと」だ。ここは四国八十八ヶ所巡礼の第二十番札所の鶴林寺が近くにあるため、お遍路さんの宿泊も多い。お遍路さんたちの朝は早く、午前7時には宿に誰も居なくなる。ロビーで所在なげにしていた私に、事務所の加々美清美(かがみ きよみ)さん(64)が声を掛けてくれた。

|「ごっつい可愛らしい子がおるんよ、会(お)うてみたら。みかん農家の跡継ぎするんで帰ってきた青年やけん。やっちゃん言うんよ」

小雨が降る中、さっそく「やっちゃん」の家を訪ねてみると、内谷安宏(うちたに やすひろ)さん(34)は、自宅下の作業所で、すだちを出荷するための箱を組み立てていた。

|「みかんとすだちがメインですね。個人的にはすだちが好きです。すだちは徳島独特ですから。8月から9月に収穫して冷蔵庫に入れて、重量が5%軽くなるように乾燥させてから12月頭(あたま)に出荷します。冷蔵庫に入れて乾燥させるのを専門用語では予措(よそ)言うんですけどね。最初8℃に設定して2週間おきぐらいに0.5℃ずつ下げていって、最終的に3℃か5℃になるようにしていくんです」

広い作業所で一人、黙々と箱折り作業をしていた安宏さんが、「1日誰とも話さない時があるから、話し相手が来てくれて良かったんです」と、突然訪ねた私に気遣いを見せる。安宏さんは大学の工学部を卒業して大阪で自動車の設計を仕事にしていたが、30歳の時に退職して実家へ帰ってきた。

|「農業をやりに帰ってきたわけではなく家を継ぐために帰ってきたので、たまたま家が農家だっただけなんです。一度は外に出て、やりたいことをやりたいと思っていたので納得しています。自分で選択できたので良かった。家を継いでくれと言われたことはなかったのでね。あんまり言われていたら帰ってこなかったかも知れません。これ、おかんの戦略かな」

安宏さんの箱折りには、スピードとリズムがある。

|「今の時期、雨の日には、いつもすだちの箱を折ってるんです。一つ折るのに8秒。底も蓋も同じ。蓋よりも底の方が折ってて楽しいです。折り込む爪の長さが絶妙ですね。設計図があるんだったら、見せてもらいたいくらいです」

自動車の設計をしていた安宏さんの関心の持ち方と、出荷用の箱を組み立てるのが楽しいと言う言葉に少し驚き、興味が湧いた。安宏さんは、農業経営についても独自のスタイルを追求しているようだ。

「農家っぽくない農家を目指したいです。土の上を這いずり回ってボロボロの服を着ているんじゃなくて、働かない農業というか、働かない日数を増やして自由時間を作っていく。畑を広げようとは思ってないし、同じ結果を保ちながら労働時間を減らし、空いた時間を自由に使いたいと思っています。保つのは収量だったり結局のところ収入なんで頑張れるけど、みかんの味は、ぼくがどんなに頑張っても結局は天気なんです。だから、ぼくが頑張ったとは言いづらいですね」

翌朝は、冷蔵庫に入れてあるすだちを出して選果すると聞いたので、再び、安宏さんの作業所を早朝から訪ねた。午前7時だというのに、とっくに選果は始まっていた。選果機へ送り出す前、安宏さんは、すだちの状態を丁寧に見て、不良品をはじき出している。およそ3分の1が選外とされている。

|「いつもはここまでは多くないんですがね。今年は雨が多かったからなのか、弱いんが多いですね。ほんとは腐るのが無いぐらいなんですけどね。今年は何があかんかったのか」

私に伝えようということでもなく、安宏さんが自問自答している。ピンポン球ほどの小さい濃い緑色のすだちを確認しているのは、農民の手というには優しく繊細な細い指だ。

|「いま選果しているのは、少し遅めの10月に入ってから収穫したすだちなので、黄色くなりかかっているし、形も大きいですよね。すだちは料理に添えるものなので、大きいと不格好になりますから」

安宏さんがすだちを選ぶ基準は厳しそうだ。選外としたすだちを入れているバケツがみるみる一杯になっていく。すだちは、2Lの大きさになった時に採るため、同じ畑を時期を遅らせて3回ほど回り、順々に2Lになるのを待って採っていく。選果が一通り終わると、箱詰めだ。同じ大きさの玉の中から、濃い緑色の赤秀品質と黄色味が少し付いている青秀品質に分け、「ちょっとずつおまけして」1キロずつ箱に詰めていく。

|「花が咲いて100日経ったらすだちは採ることができます。4月後半から花が咲き始めるので、値の高いお盆の頃に出荷できるように早めに収穫したいんですが、自然は思い通りにならない。そこが面白いし、狙い通りにできた時は喜びが大きいですね。毎日、大阪でパソコン触ってた人間がこんなんしてるんですからね。それも、この家で育ったからできるんでしょうね。ばあちゃんが箱折ってる傍で、自分も高校野球の試合見ながら箱を折ってたような記憶がありますからね。もう農家の生活に馴染んでますよ。今朝も5時から朝食をとって、それからしばらくはコーヒーを飲みながらゆっくりしてないと、仕事モードにならないですね」

安宏さんの目指す農家の新しい姿が、すでにここにあるのかも知れないと思わせてくれる。とにかく安宏さんの趣味というか、自由な時間でやりたいことは多彩だ。写真と車、車といってもラリーに出場するような特別な自動車だ。これは彼の経歴から当然のように思えるが、この他に、スノーボード、マラソン、カラオケ、テニス、パソコンゲーム、それに映画鑑賞やピアノもやってみたいと。それに「お酒も大好きです」と言うのだから、時間は幾らあっても足らない筈だ。

|「自分ひとりのスタイルに慣れておきたいんです」と、祖父の善彦(よしひこ)さん(86)の手伝いもやんわり断り、将来結婚しても妻に農業をやってもらうつもりはないと言う。安宏さんは、一家総出でやる従来の農業とはかなり異なる形態の農業を考えているのだ。それも力の入った「ねばならない」という頑なな様子はなく、淡々と自然体なところが魅力だ。安宏さんの考えている農家の形態が実現できるとなれば、農業そのものに新しい風を吹き込むことになるのかも知れない。

 

坂本地区で最初に訪ねたのは、柚子の収穫で忙しくしていた森本友章さんだ。友章さんから「坂本の昔の暮らしぶりを聞くなら、新居雄彦(にいい おひこ)さん(84)を訪ねなさい」と教えられていたことを、取材の最終日になって思い出した。

急な坂道を上り詰めた所にある自宅を突然訪ねた私に、雄彦さんは最初戸惑ったようだが、玄関を入った土間の上がり框に腰掛け、遠い記憶を辿るようにポツポツと話し始めてくれた。

|「結婚したんは、ぼくが30歳の時やけん。当時は、皆、みかん農家やったね。みかんが生産過剰になっとらんかったけん、まだ活気があったわな。それ以前、終戦後すぐじゃったろな、ぼくらがまだこまかったけんな、あの時分にうちの親父が農協出荷組合の組合長をしよったんよ。地区に大きなスピーカーがあるでしょ。あれが徳島では、坂本に一番初めにできたんよ。みかんを出荷したら、あのスピーカーで大阪市場の市況を年中放送してました。日に日に値段が上がってきとって、皆がワーワー言いよったな。みかん景気ちゅうんかな。それはあったように思う」

|「終戦が13歳の時やけど、その頃の方が印象に残っとるんかな。大きなって結婚してから楽しかったことは、印象に残っとらんけど、やっぱり一番印象に残っとるいうたら、戦争中のことやな。学校行ったら、日に日に教練ばっかりや。教官に軍人が来とってな、なぐるんじゃもん、我々を。グランドで銃剣術の稽古したり、ちょっと悪かったら『貴様、それで人が突けるか』バーンとやられるし、そんなんばっかしやったな。学校で、あんまり楽しいに勉強したちゅうんはないわ。終戦になってからやな、本気に勉強できたんわな。平和の時のことより、当時のことの方がよけ残っとるわ、ほんま。ほんなもんと違うで、人間て。平穏なんより、波乱の方がよけ残る」

|「みかんを作っとって良かったないうこと、それはないな。百姓って、そんなもんでよ、皆。使命に燃えてやな、やりよるちゅうんはないよな。そんなんしよったら、肩こってしょんない。ほんなもんや百姓ってな。もう惰性もあるし、やむを得ずちゅうんもあるし。みかん景気ちゅうて言う時分な、こんな話があるわ。青年団あたりがな、学校の講堂で演芸をやって、ほいで坂本に泊まり込みに来とる採り子さん、何十人かおるわね。その人らを励ますちゅうか、慰めるちゅうんか、そういうことを2年か3年か、したように思う。ま、それほど当時は(働き手を)大事にしよったわ。また、来年も来てもらわないけんけん。我々の時代に遊ぶいうことはなかったもん。遊ぶやいうんは、犯罪とはいわんけど、不道徳なちゅう意識があったもん。勤勉第一やわな。全然いまとは違うよ。これは風潮やな。流行やわ。また、昔に戻るやら分からんでな。日本の国が今のまま行くとは思えんし。やんやん言いよった法律な。また、兵隊に行かされるとかよ、ならんとも限らんな。30年50年後には分からんでよ。今は、平和な時代に間違いないけんど、ええか悪いかは別やな、そりゃ。日に日に新聞読んどったら、ま、楽観ばかりもでけんとな。安心して充実しとる気は全然ないよな。何かモヤモヤがあるな、確かに。誰もが同じこと思うとんと違うで。こうして思い出してみると、戦争中のことが一番印象に残っとんな。波瀾万丈いうんは、ええことばっかりやないんじゃけん。多少浮き沈みはあったけんど、言うてもしょうがないようなことで、思い出がちょっと残っとる程度のことでね。平穏じゃわ。それでも、それなりに充実してたことを思えば、ま、平穏だったということが、ええ人生やったんかな」

こう言うと、雄彦さんは晴れ晴れとした表情で豪快に笑った。玄関での別れ際、雄彦さんは「ぼくが言うたことは、何でも書いてええよ。隠すようなことは何もないけん」と言い添えてくれた。雄彦さんの大らかな人柄に、もう一度感謝の気持ちが湧いてきた。

 

 これまでに発行された季刊新聞「リトルへブン」のWeb版を読むことができます。

 

Supported by 山田養蜂場

 

http://www.3838.co.jp/littleheaven/index.htm

Photography& Copyright:Akutagawa Jin Design:Hagiwara Hironori Proofreading:Hashiguchi Junichi

WebDesign:Pawanavi