2015年(平成27年) 11月・秋44号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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みかんの木に頭を突っ込んで、何やらガザガザとしている女性がいる。石垣の下から見上げている私には気付いていないようだ。

|「何か用ですか」。彼女の後ろから夫らしい男性が顔を出した。「取材で坂本地区を歩いてるんですけど、今、何をされているんですか」、と私。「天気悪いし、倉庫の整理でもしよかと思ってね」。

武田治雄(たけだ はるお)さん(65)と夏代(なつよ)さん(60)夫妻だ。

|「お父さんは若い時、アメリカのみかん農家で研修してきたんよ。お父さん、得したことあるで、全国に友だちできたからね。すごいなあと思う。どんな金額出しても、それは手に入らん」

夏代さんの治雄さんを見つめる目が輝いている。夏代さんに促されるようにして、治雄さんが話し始めた。

|「カリフォルニア州リバーサイドのみかん農家でね、自炊しながら勉強したんや。アメリカの仕事はきつかったけんな。面積が違うけん。日本の農家の何十倍もあるけん。帰ってきた時は、我が家の農業が楽やったわ。時給1ドル50セントでしたね。寒い時はヒーター焚きに行かないかんので、夜中に起こされるんよ。暖(あった)こうなったら消しに行かないかんし。1年中灌水じゃわな、砂漠の中じゃけん。アメリカでは、土いろたり農薬しよっても、女の人はイヤリングして化粧して畑に来るけんな。一番の違いを感じたのはそれや。もう一つ驚いたんは、日曜日に遊びに来い言うて農場主が家に呼んでくれるんやな。農家の奥さんが家に居って、きれいな服着て奥さんしよるんじゃけん」

今も脳裏に鮮明に刻まれた20歳代のアメリカでの体験が、治雄さんにとっては昨日のことのようだ。

|「スーパーマーケットで買い物する時は、店内をリヤカー押していって棚の品物をカゴに入れて買うんよ。今は日本もそうなっとるけど、あれが珍しいてな。銭が無かったけん、ロングヘアになって日本に帰ってきたんや」

●取材地の窓口

 徳島県勝浦町役場 産業交流課

 〒771-4395

 徳島県勝浦郡勝浦町大字久国字久保田3

 電話 0885-42-1505

 http://www.town.katsuura.lg.jp

 

●取材地までの交通

 JR徳島駅前のバスターミナル5番乗り場から、徳島バス(Tel.088-622-1811)の勝浦線・黄檗上(きわだかみ)行き(通称・坂本行き)に乗車し、坂本八幡神社前下車。所要時間は約80分、1日6本運行。料金は970円。元坂本小学校を利用した「ふれあいの里さかもと」(Tel.0885-44-2110)に宿泊する場合は、同じ5番乗り場から出ている勝浦線・横瀬西行きに乗車し、終点で下車すれば迎えに来てくれる。所要時間は約60分、1日12本運行。料金は840円。

徳島県勝浦郡勝浦町坂本地区の坂本郵便局近くに「宮田辰次翁碑」と題した「記功碑」が建立されている。昭和17(1942)年に勝浦郡みかん栽培同業者有志で結成した顕彰会によるもので、高さ2.4m、幅1.5mもある大きな石碑だ。この碑文によると、坂本地区でみかん栽培の発端となったのは、油商人の宮田辰次氏が商用で訪ねたみかん栽培の先進地であった紀州から、接ぎ穂を枯らさないように大根に刺して持ち帰り、自宅の柚子に接ぎ木をしてみかん栽培を始めたとある。文政11(1828)年のことだ。坂本地区のみかん栽培は、187年間の歴史があり、みかん農家に多大な豊かさをもたらした。

|「自分らが子どもの時には、坂本地区の電話の普及率が徳島県でトップだったらしいわ。交換手に『徳島の何番繫いでくれるで』言うて繫いでくれよった電話の時代よ。みかん収穫の時期には、吉野川の上流の方から泊まり込みでな、採(と)り子さんに来てもらいよったけんな。みかん1貫(約4キロ)あったら採り子さん一人雇えよったけん。自分らが子どもの時代には、住み込みで仕事する人も坂本によけおったわ。男の人は番頭はん、女の人はおよしさん言うて呼びよったけん。それが結局、みかんの力やな」

曾祖父の時代に始めたみかん栽培にまつわる治雄さんの記憶は、子ども時代の豊かさと直結しているようだ。その豊かさがあったからこそ、若い治雄さんをアメリカへ研修に行かせようとする進取の気性を育んだのであろう。高度経済成長期の波に乗ったみかんは、全国的に増産され高値で取引きされる時代が続いた。ところが、昭和50(1975)年になってみかんの国内総生産量が350万トンを超えると、「みかんが大暴落したんよな」と、アメリカ帰りで豊かさの絶頂だった25歳の治雄さんに試練を与える時代が到来する。さらにその6年後、今度は自然の脅威がみかん農家を襲う。

|「マイナス10℃を超えとったわ。昼でも外へ出られんのや、寒うて。ミカンが3日したら色が変わってきたもんな。大寒波があって、ミカン山が真っ赤になってな。結婚して子どもは居るし、これからどうしようと途方に暮れたんよ。どこのみかん農家も同じやから、やり直すにしても苗木がなかなか手に入らんのよ。その時に、アメリカへ研修に行った繋がりで、その時の友だちが苗木を準備してくれたんよ」

治雄さんが遠い苦しい記憶を辿るように話す傍で、夏代さんが相槌を打って聞き入っている。

|「和歌山まで苗取りに行ったんよ。苗木を準備するよって声掛けてくれたんよ。やっぱり友だちってすごいなと思う」

|「あれが節目やった。あれで坂本の農業は変わったんやと思う。スモモなんかに代えた家もあったな。氷河期が一気に来たように時代が変わった。今、勝浦町のみかん部会長をしよって、皆に、みかん馬鹿と言われよんやけどな。シューベルツの「風」いう歌があるやろ。『そこにはただ風が吹いているだけ』って。自分が振り返ってみても、ただ風が吹きよるだけやな思うて」

夏代さんが背の高い治雄さんを見上げるようにして、しみじみと言う。

|「来年5月で、(結婚して)ちょうど40年。長いこと一緒に居られて良かったと思うてね。そやけど、ほんまに振り返ったら風吹きよるだけやな」

紀伊水道に流れ込む徳島市内の勝浦川河口付近から勝浦川に沿って20キロほど上流へ遡れば、もう勝浦町の中心部へたどり着く。地図で確認した時には想像できなかったが、河口から近い割には急峻な山々が迫り、勝浦町の中で最も奥深い坂本地区の家々は、斜面にへばり付くように点在している。

車社会になる以前は生活の全てを賄っていた小径が山肌に伸びている。そんな小径の一つを歩いていると、一輪車にチェンソーを乗せて来る男性と出会った。

|「細い道やけど、地図に載っとる昔からの道にはなっとるんやけん。近くの山に木を倒しに行きよんよ」

森茂樹(もり しげき)さん(76)に付いて、彼が青年の頃まで暮らしていた屋敷の裏山へ行った。小径から別れて幅2メートルほどの小川の橋を渡る時、「中学ぐらいの時やったけど、ここでウナギを釣ったことがあったけどな。餌にミミズを付けてな」と、茂樹さんが懐かしそうに教えてくれる。

屋敷の裏山で切り倒したのは、直径20センチほどのニッキの木を2本。バサッと音を立てて木が地面に倒れると、ニッキの香りがほのかに漂ってきた。何のために、その木を切り倒したのか尋ねるが、茂樹さんは「特に使い道はない」と言うばかり。太めの枝を腰鋸で切り落としたら、「さ、帰ろか」と倒した木はそのままにして、一輪車にチェンソーを載せて帰り始めた。茂樹さんの後ろを付いて小径を歩いている私に、彼が唐突に話し掛ける。

|「私ら、こんな住み良い好きな所に暮らしよるけど、東北の被害にあって仮設で暮らしよる人は気の毒ななあ」

相槌を打つ。他に言葉が見つからない。自宅前まで一緒に歩いた。雲に覆われた空を見上げた茂樹さん。「ここら辺の百姓は、長いこと降っとらんので雨を待ちよんのじゃけど」。茂樹さんは、私に気遣って色々な話をしてくれているのかも知れない。

茂樹さんと別れた後、森本友章(もりもと ともあき)さん(77)が収穫をしている自宅下の柚子畑を訪ねた。友章さんの自宅は、国の登録有形文化財に登録されている江戸と明治時代に建てられた立派な建築物だ。石垣下の柚子の木は、上へ伸びて高枝バサミでないと実を採ることはできない。柚子の木は鋭いトゲがあるため木に登ることもできないのだ。友章さんは、大きな枝をチェンソーで切り落としてから収穫している。

|「日当たりが良くなくても結構育つということで、先代が柚子を植えたんでしょうね。ここは元々田んぼだったんですよ。40年ほど前なんですかね。トゲが大きいということは香りが良いんですよ。昔の品種ですからね。今の柚子はトゲが柔らかくて実が小さいでしょ」

 若い時から都会で会社勤めをしていて定年退職の後、15年ほど前に帰郷した友章さんの仕事ぶりは、上品でゆったりと急ぐ様子がない。

辺りが薄暗くなるまで収穫を続けた友章さんに別れを告げて車道へ出ると、茂樹さん宅裏の煙突から煙が出ている。道路端から大声で茂樹さんに尋ねる。「風呂を焚いている」と大声の返事が返ってきた。いまどき珍しい五右衛門風呂だ。さっそく自宅裏へ押しかけた。茂樹さんは写真を撮られたくないようだ。

|「さっき切り倒したニッキの木は薪にするんだけど。あんたにそう言ったら必ず風呂見せろと押しかけてくると思うて、黙っとったのに。うちの風呂は昔の五右衛門風呂とは違うけん。横に寝るようにして入る風呂やけん。外国の映画に出てくるやろ」

もうほとんど真っ暗で、写真を撮ることはできそうもない。茂樹さんと一緒に少しの間だけ風呂焚きをして失礼した。家から漏れる明かりが届かなくなると、真の闇のように目の前が何も見えなくなった。アスファルトの車道がほんのり白く浮かんでいる。

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