2015年(平成27年) 9月・初秋43号

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サトウキビ畑に囲まれた一角で、濃いサングラスを掛けた比嘉正信(ひが まさのぶ)さん(77)が秋植えサトウキビの種を採っている。昨年秋に植えたサトウキビは、本来、来年1月から3月に刈り採るのだが、その中で幾分育ちの悪い畑のサトウキビを1年経った今年の秋に刈って、種として使うためだ。

|「暑いから疲れるよ。1年経って伸びてないウージ(サトウキビ)を種(さね)にやるわけ。何も植わらんと草がボウボウになるさ。人が笑うさ。サトウキビ、お金にはならんよ。1トン2万円だから、全然儲けにはならんよ。全部で1500坪くらいサトウキビ作ってるさ。肥やしも3回ぐらい入れるわけ。手間暇掛かってよ。だから、絶対儲けにはならないわけ。疲れるよ」

正信さんは、「疲れるよ」が口癖のようだ。

|「(隣の畑のサトウキビを見て)葉っぱ取ってあるさ。あれは種にならんさ。種は葉っぱ付けておかんと、上等じゃないわけよ。葉っぱ取ってないウージが種ウージなわけ」

サトウキビの茎を巻いている葉っぱを取ると、節のところから芽が出てしまい、種としての発芽率が悪くなるのだと言う。正信さんは、畑の中まで乗り入れた4駆の軽トラックに種サトウキビを積み込むと、畝の凸凹をものともせずに車体を揺らして畑を通り抜け、住宅地近くの作業場へ向かった。作業場で、サトウキビの葉を更にきれいに取り除き、30センチほどの長さに切り揃えなければならない。

作業場の庭には日除けの簡易テントが張ってあり、その下で手伝いの工藤繭子(くどう まゆこ)さんが、先に運んだサトウキビの葉を取る作業をゆっくりと続けていた。正信さんは、軽トラに積んできたサトウキビをテント脇に引きずり降ろし、「ああ、疲れた」と言うと、小さな箱に腰掛け繭子さんと並んで作業を始めた。宮崎から訪ねてきたと言う私に、正信さんが聞く。

|「宮崎は東京の上か下か。内地に行ったことないから分からないさ。これ(サトウキビ)、糖度によって値段違うさ。(糖度が)13から上が良いさ。これ刈る時に機械を頼むと坪幾らだから、(密集して)生えてないとウージ代で足らなくなるさ。手で刈らないとだめさ。朝5時から10時半ごろまで畑で働いて、昼間は休んで、夕方また仕事するさ」

夕陽が東シナ海に沈むと、正信さんたちの仕事も終わりだ。「暑いから疲れるよ」と言いながらも正信さんは、葉を取る作業の終わったサトウキビをきちんと並べ終わるまでは手を休めない。自宅へ帰る前、正信さんが鉢植えの植物にホースで水を掛けていると、雨上がり後のような懐かしい匂いが漂ってきた。

 

清々しい青空の広がる日々が続いている。サトウキビ畑の間に牛小屋を見つけて近付くと、隣の畑で種サトウキビを切り揃えている人の姿があった。

|「サトウキビの秋植えは、今月(9月)いっぱいがメインじゃないかな。冬になってくると、土が冷たいからね。芽が出るのが遅くなると、草の方が早く出て負けてしまうさ。沖縄にはクシユックワーシという言葉があって、腰を休ませるという意味さ。人が訪ねて来たらクシユックワーシしようと言って、仕事を休憩するさ。誰も来なかったら、ただ土に向かって仕事ばっかりしてますよ」

こう言うと、玉城幸一(たましろ こういち)さん(65)は、牛小屋横の休憩小屋に私を案内してくれた。すると、休憩小屋には金城清春(きんじょう きよはる)さん(63)と名乗る幸一さんと従兄弟の先客があって、冷たい缶入りさんぴん茶(沖縄で人気のジャスミンティ)を出してくれた。3人でさんぴん茶を飲んでいると、幸一さんと同級生で海人(うみんちゅ・漁師)の新垣𠮷雄(あらかき よしお)さん(65)が入ってきて入口近くのイスに腰を下ろした。幸一さんがすぐにさんぴん茶を差し出す。𠮷雄さんは当たり前のように黙って受け取って、缶を開けてひと口飲む。挨拶をするわけでなく、あらかじめ決められた芝居のように振る舞う2人の様子に驚いていると、私の飲んでいるさんぴん茶を見て𠮷雄さんが話し始めた。

|「おじいちゃん、おばあちゃんが飲むのは最初に淹れたお茶で、子どもは何度も淹れて薄くなったお茶。それがさんぴん茶さ。おじいちゃん、おばあちゃんはもうすぐあの世へ行くんだから、美味しいお茶を飲んでくださいというのが、沖縄の文化さ。オリンピックの金銀銅で、金が一番ではなく、銅も一番と思う人が沖縄にはいっぱいいるんですよ。それが、さんぴん茶の考え方なんですよ」

それを聞いていた幸一さんも、「沖縄では自分の祖先が偉いんであって、社会的な地位があっても偉くはないんですよ」と、我が意を得たりといった感じだ。

3人が沖縄の方言で話し始めると、私にはまったく意味が理解できない。単語一つ一つが理解できないのだ。戸惑う私に𠮷雄さんが気遣ってくれる。

|「マグロ船で宮城県の人と一緒になった時にさ、ぼくの話がまったく分からないって、東京弁で帳面に書いてくださいって言われたことがあるよ。ぼくらより下の世代はもう方言は使わないさ。ぼくらの時代は学校で方言を使ったら掃除当番だったさ」

照り付けていた太陽が東シナ海に沈み、夕暮れが近くなってきた。

休憩小屋の外に玉城満(たましろ みつる)さん(54)が顔を見せた。幸一さんの弟だ。幸一さんが私たちと話しをしているので、牛の世話をひとりでしていたようだ。私が幸一さんに声を掛けてから後、もう2時間近く、彼はまったく仕事をしないで休憩小屋で話をしている。次々と人が集まってくるので、お暇をする機会を失ってぐずぐずしている私が、実はサトウキビの植え付けを取材に来ていると聞いて、挑むような調子で𠮷雄さんが話し始めた。

|「サトウキビの植え付けを50メートルするのに、どうするかをパソコンで知らせることは出来るけど、パソコンを見て汗をかきますか。それでも植え付けを知ったと言えますか。汗をかくために人間は生きているのさ。サトウキビを植え付けるというのは、サトウキビと会話をしているということなんですよ。サトウキビの声を聞くんですよ」

まったく同感だ。

幸一さんのサトウキビの話がようやく始まった。

|「朝ごはんの前にひと仕事しますよ。朝ごはんを待ってたら8時になりますよ。それから畑に出たら陽が昇って、いくらも仕事出来ないさ。サトウキビの種を植える時は、芽を横に植えるさね。ひと節ごとに表と裏に芽があるさ、片方が上になると片方が下になって、下になった方の芽は発芽が遅くなるさね。だから同時に発芽するように芽が横になるように植えるさ」

植え付けの作業を見ていると、無造作に畝の溝に並べているだけのように思っていたが、案外細かい心配りをしているのだ。

「それと畑の両端の畝は、自分の好きな別の種を植えて、主に植えている農林8号の出来と比べるさ。一番端にしたら採りやすいからさ。同じ季節、同じ畑さね。それで比べて良かった方を来年植えるさね。時代に合わせてからね。先人たちが残した土地を、一生懸命守っているだけさ」

幸一さんは「自分なりの考えですよ」と、繰り返し付け加えた。

「自分の仕事には絶対の自信を持ってるさね。人の真似をするのを一番嫌うわけよ」

それを聞いていた海人の𠮷雄さんが私に言う。

|「やり方や考え方が違っていても、お互いに尊敬して友だちでおれば、幸せじゃないですか」

外はすっかり暗くなっていた。遠くを走る車は、すでにヘッドライトを点けている。清春さんと𠮷雄さんは、「さよなら」とも「また明日」とも言わず、黙って自分の車で帰っていった。私も道路脇に停めていた自分のレンタカーに戻ると、座席のシートがびっしょり濡れている。近くの畑でスプリンクラーが散水を始めていたのだ。窓を開けたままにしていたのがまずかった。結局、この日の午後、幸一さんにはほとんど仕事をさせないままだった。

翌日は、午前中に幸一さんを訪ねた。前日は、話に夢中で仕事中の写真は一枚も撮影しないままだったからだ。

 幸一さんは、私の顔を見るとすぐにトラクターのエンジンを掛けて、サトウキビの植え付けを始めてくれた。私が来るのを待って、最後の2畝だけを写真撮影用に残しておいてくれたらしい。

 トラクターで10メートル余りの畝を作ると、種サトウキビをスーパーマーケットにあるプラスチック製のカゴに入れて元の場所まで引き返し、畝に沿って縦に並べてポンポンと置いていく。昨日聞いたように、芽の箇所を横に置いているとは思えないほど、無造作に並べている。引き返す時には、両足で軽く土を蹴飛ばして種サトウキビの上に被せ、軽く踏んで土を固めている。

 残っていた2畝の植え付け作業は、30分もしないで終わった。これで今年の秋に植え付ける800坪が全て終了したのだ。今年は、例年の半分ほどしか植え付けなかったそうだ。

 「朝から晩まで、サトウキビの顔見て、牛の顔見て仕事をしていたら飽きますよ。ボランティアで60歳以上のソフトボールの審判をしていますから、忙しいですよ。ソフトボールは村内に12チームあります。ゲートボールは年寄りみたいで恥ずかしいさ。年明けたら、サトウキビの出荷の準備が始まるし、毎月用事がありますよ。休むのは台風の時だけ、その時は何もしないさ」

 幸一さんの話を聞いていると、再び海人の𠮷雄さんが錆びだらけの軽ワゴン車でやってきた。「海人の車は3年しかもたないさ」と言う。

牛小屋と休憩小屋の周りに植えてあるハイビスカスの花を見て、𠮷雄さんが教えてくれた。

 「一年中咲いているからね。沖縄では後生花(ぐそうばな)と言って、亡くなった人に対するお花だよという意味さ。山羊の大好物さね。お墓の近くに植えとくと、いつでもお墓に花を供えることができるさね。太陽に向かって自分も頑張って花咲かしてるよという花さ」

 沖縄で聞く話の一つ一つに、他者に対する思いやりを感じる。再びさんぴん茶をいただきながらクシユックワーシ(腰休め)の時間が始まろうとしていると、昨日は牛の世話をしていた弟の満さんが来て、「軍鶏(しゃも)を見るか」と聞く。満さんの案内で奥の小屋に入ると、軍鶏が1羽ずつ入る木製の大きめの鶏小屋が3段になって並んでいる。30余羽いる。そのうちの2羽を庭のケージに出してくれた。

 「闘鶏は遺伝子ですよ。打つ方と打たれる方があるんですよ。遺伝子は繋がっていくさ、でも、根性がなかったら横綱の子でも駄目さ。守る方と攻める方で最長90分、だいたい1時間かな。生まれて8か月か10か月の間には、試しといって、最初は2、3分ぐらいから稽古をさせるさ。だんだん筋肉を付けて仕上げていくわけ。(左側のケージに入っている軍鶏を見て)これは選手としては下り、練習用よ。テストして見込みがなければ、雌は食べる人いっぱいいるけど、雄は畑の肥料よ。自分では食べないよ。その運命なのよ、ペットじゃない。生き物は好きよ。だから兄貴の牛の世話もするのよ」

 満さんの話は、これまで知らなかった世界の片鱗を教えてくれた。

軍鶏の写真を撮っていると、またまた新しい男性が顔を見せた。幸一さんの兄弟で二男の玉城幸雄(たましろ ゆきお)さん(59)だ。

 「兄弟が男女男女男女女で、7名居るんです。兄弟いっぱい居るけど、ぼくが一番贅沢していますよ。だって兄貴も姉も弟も妹も、全部居るんだもん。こんな贅沢ありますか。世間にも、そんな贅沢している人間、そんなにいませんよ」

 兄弟が次々と畑の休憩小屋に顔を出し、従兄弟や同級生もやって来る。その誰もが相手を褒めて、自らに誇りを持っているのが伝わる。沖縄の人びとの心の豊かさなのだ。

 沖縄で出会った人びとを思い返すと、誰ひとりとして、突然訪ねた肩書きもない取材者の私を警戒した人はいなかった。それは無防備というのではないと思う。純朴というのか、疑うことを知らない人の輪が沖縄には存在しているのだ。一人一人の顔を思い出すと、感謝の気持ちで胸が一杯になってくる。

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