2015年(平成27年) 9月・初秋43号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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クバ笠を被った男性が、三股鍬で根の絡み合った植物の株を掘り起こしている。

|「ウッチン(ウコン)さ、酒好きな人が飲むもの。若いのが来たら一発で出来るけど、なかなか出来ない。内地みたいに土が軟らかかったらよ、こんな難儀しないけどよ」

上地秀勝(うえち ひでかつ)さん(77)の仕事は、言葉で言うほど難儀しているようには見えなかった。淡々とゆっくりだ。短気を起こさず、少しずつやっていけば、いつの間にか完成しているといった仕事振りである。わずかに風が吹いて隣の畑のサトウキビの葉をヒラヒラと揺らしている。ひんやりとして秋の気配を感じさせる心地よい風だ。

少し離れた場所で、妻のえみさん(74)が、島らっきょを掘り上げている。

|「彼岸を境目に全ての冬野菜を植え付けるんですよ。島らっきょは、根と茎を短く切って2、3本ずつ植えるんです。それが何10本にもなりますよ。秋に植えて春に食べる。春に2、3本残しておいたら、秋になるまでに、また、子どもが増えているんですよ。それを又、秋に植えるんです。楽しみでやっておりますから」

島らっきょの他に、チンヌク(里芋)、山芋、ニラ、生姜などが、畑のところどころに植えてある。

|「必要な時に採りに来るんですよ。ニラは、花が咲いているから刈り飛ばして、肥料を入れたら、また、芽が出るんですけどね」

畑に植えてある作物のほとんどは、少し残しておいて季節が巡ると、再び、株が増えたり芽が出たりする循環する作物だ。

|「息子1人と娘2人の3家族が近くに居ますから、それと自分たち夫婦では、食べきらないぐらいできますよ」

島らっきょ掘りにひと区切り付けたえみさんが、「お父さん、(株は)まだ取れないの」とウッチンを掘り起こしている秀勝さんの傍へ行くと、根の絡んでいる株の端からスコップで切り崩して、手際良く取り除いてしまった。秀勝さんは、そんなえみさんの仕事振りを見ているのか見ていないのか、黙々と三股鍬で土を深く掘り起こしている。どうやら秀勝さんの目的は、ウッチンの株を掘り起こすよりも、冬野菜を植えるために畑の土を深く耕すことにあったようだ。

少し高台になっている秀勝さんの畑から西方を望むと、深い碧色の帯のように東シナ海が見えていた。

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●取材地までの交通
ゆいレール(沖縄都市モノレール)の那覇空港駅から旭橋駅まで行き、那覇バスターミナルの28番線に乗り、読谷村の大当(うぶどう)バス停下車。このバス停が、読谷村波平地区の中心になります。5分から15分間隔で運行。所要時間は1時間10分。料金は片道1050円。沖縄バスと琉球バスの2社が運行。

沖縄県読谷村波平(よみたんそん なみひら)地区の農作地では、サトウキビの秋植えが盛んに行われていた。波平地区の住宅や商店の中を南北に貫く国道6号線から西へ向かって、緩やかに下りながら東シナ海まで真っ直ぐに農道が伸び、その両側にサトウキビ畑が広がっている。現在、背丈3メートルほどに伸びているのは、春植えのサトウキビで来年2、3月頃に収穫の予定である。

|「秋植えは、畑に1年半居りますからね。いま植えているのは再来年の1月から3月に収穫。今年4月に植えた春植えは、1年で採れるんですよ」

30センチほどの長さに切った種サトウキビを、畝の溝に沿わせて1本1本縦に置いて足で踏み、植え付けをしていた山内邦雄(やまうち くにお)さん(65)が作業の手を休めて教えてくれた。

夕暮れ時に、サトウキビ畑の中を抜けて農道を海へ向けて下ると、道端に腰掛けている人影が目に入った。頭にタオルを巻いて、背中に「海人(うみんちゅ)」と書いたTシャツを着ている。

|「秋めいてきたなと、ちょっと考え事をしてたんですよ。今の時期は、アーチパイプハウスで作るゴーヤの土作りをしているんです。来月からゴーヤの植え付けをするから、ちょっとワクワクしてるけどね。1、2月はハウスで保温して、3、4月に出荷です。これ本土向けに作ってるんです。3月4月に出荷すると沖縄の露地栽培物は出てこないから有利なんです。

農業は何もかもが闘いです。暑さもあるし、台風もあるし、虫もある。塩害もあるし、肥料もあるし、水もある。買い手もあるし、ライバルもいるし、カミさんもいる。あっ、カミさんはちょっとまずいかな。ぼくは21年間勤めていた会社を辞めて、今年1月から新規就農なんです」

目を輝かせて一気に話し始めたのは、上地直人(うえち なおと)さん(44)だ。彼に教えられて、薄暗くなった畑のオクラの畝を見ると、海に一番近い畝のオクラは、ほとんど葉がちぎれて無くなっている。今年8月24日に沖縄本島の西側海上を940hpaの勢力を維持したまま通過した台風15号の風と塩害でやられたのだ。わずか1メートルほどの間隔なのに、海から離れるほど隣の畝の被害は少ない。自然災害の微妙な差に驚く。

|「農業で飯食えるなら、やってみたいなと10年くらい前から悶々としてたんですよ。親も親戚も馬鹿じゃないかと言ってましたけど、国が新規就農の新しいメニュー出したんで、退職して独立。農業を始めて一か月も経たないうちに、(初めて植え付けたゴーヤが)ものすごく出来たんですよ。3か月で勤めの時の年収の2倍採れたんですよ。運も良かった。子どもが4人居るからね。鎌一つ持ってやるような農家じゃだめだと思って、先進的な農業をやりたいんですよ。先月、会員22名で『若畑人(わかはるさー)』という若者の農業クラブを立ち上げました。以前の勤めは福祉の仕事をしていました。言われることをやるばっかりだったので、農業を始めた今は、働きながら気持ちが良いですよ。葉っぱが風で揺れる音だとか、虫の音だとか、みんなが先生だと思って。小さい頃から鉛筆は持たされなかったですね。黒砂糖持って、水持って、家族みんなで畑に来るんですよ。土地をどうやって手に入れたかとか、鎌の研ぎ方を、いつもいつもお茶飲み話で父から聞かされて、そういった魂がぼくの中にあったんだなあと思ってるんです。自分は農業をするために生まれてきたんだろうね。メインの仕事は、これからゴーヤ作りに入っていくんだけど。ああ、早く植え付けて勝負したい」

|直人さんは、溢れるような農業への期待を、すっかり暗くなるまで語り続けた。翌日は、JA主催で行われる農業簿記の講習会を受けに行くそうだ。農業経営の近代化を進めるためには避けられない講習なのだろうが、直人さんの農業の原点は、3年前に79歳で亡くなった父親の教えにあるようだ。

|「すぐ手が飛んできてね。教えは、まだ生きてますよ。畑を通して、種を植えて、水を掛ける、肥料をやる、管理をして、収穫して、洗って、食べる。この父の教えが、食育だと思うんですよ。ぼくは、良い作物を作りたい。たくさんの人に食べて欲しい。自分で決めたことだし、やるしかないです」

直人さんは1日おきに、朝、ナーベラー(へちま)を収穫し、家で袋詰めをして、JAが経営する読谷ファーマーズマーケットゆんた市場へ出荷している。

数日後の朝、ナーベラーの畑を訪ねると、直人さんが一人で収穫をしていた。

|「今日は旧暦の1日。やっぱよう出来てるわ。こんな採れるとは思わなかった」と、嬉しそうだ。

|「旧暦15日の満月に向けて全ての花が咲くんですよ。引力も強くなるでしょ。当然、授粉しますよね。そしたら半月後の1日に実になるんです。花が咲いて授粉したら、次の満月に向けて成長していくんですよ。勢いのある、その日に向けて肥やしをやると効き目が良いと聞きました」

真偽の程は分からない。でも、そう信じて直人さんが作物に愛情を注げば、作物に良い影響があることは確かだ。先進的な農業、農業簿記、自然界の法則。どれも農業で食べて行くには欠かせないだろう。しかし、それよりも、真っ直ぐに農業に打ち込む直人さんの実直な姿勢が、彼を応援しようと思わせ、自らを助けてくれているように思えた。

 

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