2015年(平成27年) 7月・夏42号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

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我が家の前が髙鶴山(329m)の登山道入口になってますから、ここから1025m、ゆっくり登って40分ですかね。ここら辺では「たかづるやま」と濁るんですけど、一般には「たかつるやま」と言ってますね。

踏みしめ道のような細い登山道を歩き始めた。すぐに「ホーケキョ ケキョ ケキョ」とウグイスの鳴き声が頭上間近に聞こえてきた。

この辺一帯に日本スイセン500万本が植わっているという話なんですけどね。最初、私の親が植えて、この辺の農家何軒かで栽培してるんですけど、市場に出荷するんです。他所から見えた方が「スイセンの香りがいいですね」って言ってくれるんですが、我々は日常に嗅いでいるから感じないんですけどね。年に最低でも2、3回は草刈ってあげないと、草に負けちゃって、球根がいじけて、だんだん花が絶えちゃうんです。肥料は入れる必要ないし、農家の収入源になってますから。

この登山道は、ちょっと長い名前ですけど「髙鶴山登山道を守る地元有志の会」が管理維持してるんです。区長の鈴木康雄(すずき やすお)さんが会長で会員は14、5人居りますね。年に2、3回、この道を整備してるんです。

ほら、山道がじくじくしてるでしょ。いつでも水が出てるんですよ。髙鶴山の語源ですけどね、「美しい流れのある、湿った高い山」っていう意味なんだそうです。「たかづる」という言葉がですね。

今は埋まってますけど、ここに井戸がありましてね。私が子どもの時分は、お風呂だとか煮炊きもね、薪(まき)とか炭でやってましたから。薪(たきぎ)を採りに山に来たんですよ。そうすると、ここで1回休むんです。常時冷たい水が湧き出てて、その水を飲むんですよ。髙鶴山は、毎日のように登って来る生活の山でしたね。

この井戸の反対側は、一部、田んぼとして耕作してたんです。50年ぐらい前までですかね。お米が貴重な時代だったんでね。何も無い、鍬と鎌と人力だけでやってる時代でしたね。一反ぐらいありますかね。でも、私が子どもの時代には、もう稲でなくてサツマイモを植えていましたね。現在は、先ほどお話した日本スイセンがそこに植わってて、年に3回くらいは草刈りに来ますけど。

しばらく登ると、杉は見えなくなり周りが太い幹の雑木になった。太平洋から木々の間を吹き上げてくる涼しい風が、汗ばんだ肌に心地よい。

ここから脇道を左へ上って行くと古峯ヶ原神社です。「こぶがはらじんじゃ」と読むんですけど、何の神様かって言うと、1つが海難除けですね。今ではGPSがあって漁師さんも山を目印にすることはなくなったかも知れませんが、髙鶴山は沖から良く見えるんだそうです。それで、私が子どもの頃には、漁師さんたちがよくお詣りに来てましたよ。あと火災除けですね。「古峯ヶ原詣り」って言って、子どもの時から、私の親も近在の人もみんな来ていましたよ。

ここで6合目か7合目ですかね。「古峯ヶ原まで行ったら、ま、ちょっと休むべよ」とか言ってましたね。

髙鶴山は、生活の山でもあるし信仰の山でもありますけど、私が子ども時分には、親は働いて働いて休みなんてなかったから、家にテレビもないから、子どもが大勢いましたからね。今日は髙鶴山行って遊ぼうかって、アケビ採ったり野いちご採って食べたりね。子ども時分の遊び場でもありましたね。

この木を見てください。その頃ね、彫刻刀を持って来て、木の幹にイニシャルを彫ったんですよ。最後に彫ってあるSSは、私ですかね。しげあき・すずきで。遊ぶものがないからね。これが遊びだったんですよ。今はね、こう言うことやっちゃだめだよって、子どもたちには話すんですけどね。

この木を知ってますか。アオキって言うんですけどね。ここら辺は日本酪農発祥の地と言われてて、どこの家でも以前は、2、3頭乳牛を飼ってたんですよ。冬場になると青草がないから、アオキを山に採りに来てたんですよね。牛も好んで食べてね、青草がないから。しょっちゅう採り来てました。当時はもうアオキが山から無くなるほどでしたね。どこの家でも牛飼ってて、これを採りに来てましたから。

ここに小さく群生しているのは夏エビネなんです。これから咲くんですけど、1本だけ、もうきれいに咲いてますね。

傍にあるこの木は、家族の樹というんですよ。1本の根元から4つの幹に分かれて真っ直ぐ空に向かって伸びているでしょ。その形を見て、何年か前に登ってきた子どもたちが「家族の樹だね」って名前を付けたんです。自分であったり、兄弟であったり、両親であったり、祖父母であったり、その子どもその子どもにとって家族の樹なんですよ。この樹の寄り添うように伸びる姿を見て、「あ、家族だ」って思えるところがすごいですよね。

頂上に登ると「石尊神社」の小さな社が建っている。祀られている祠の左右に天狗の面と丸くて黒い石が安置されている。

 頂上まで上がっても周りに高木があって、何も見えないというので、3年掛かりで下からずーっと木を伐ってきたんです。そうしたら、景色は良くなったんですけど、こんどは風当たりが強くなって、それで昔の社が飛ばされちゃって、翌年、新しいのを建てたんです。古い社に入ってた石を集めて祀ったんですけど、ご神体が石なんですかね。

私の子どもの時分には、カラス天狗の面と鼻の長い古い天狗面があったんです。子ども時分に登ってきて、先輩方が社の扉を開けると天狗の面がすごく怖くて逃げ出したのを覚えているんですけどね。そのカラス天狗の面がね、もう40年以上経ちますかね、無くなって。その後に、鼻の長い天狗面が、又、無くなってしまって。それで、今祀ってある左側の天狗面は、鈴木宏さんって畑集落の方が奉納してくれたんです。右の天狗面は、海辺に近い地区の方ですけど、畠山洋一さんて方がね、自分で一刀彫りで彫ってね、奉納してくれたんですよ。

元旦の初日の出を拝むのに、山頂に登ってきます。ちょうど6時50分ごろですかね、朝日が上がってきて拝むんです。正月以外にも来ますよ。特別な心境というのはないですけど、農家仕事の区切りが付いた時とかですね。東京湾から丹沢が見えて、左の方へ目を移すと年に数回しか見えないですけど、箱根の山まで見える時があるんですよ。

頂上から尾根を先へ行くと、妙見様といって雨乞いの神様が祀ってあるんです。この辺の集落のお祭りは、3月21日彼岸の中日なんです。私が20歳ごろまでは、その日に神輿を出していたんですけどね、仏様の日に。その時には、雨乞いの妙見様の方へ向かって神輿を揉んで(※1)いましたね。

それじゃ私はこれで、先に帰らせてもらいます。今日は午後から機械屋さんが来て、トラクターの修理をしてもらってますのでね。

こう言うと、勝手知ったる茂昭さんは、飛ぶように山道を下って行った。

 

(※1)一か所に止まって激しく揺り上げ揺り下げすること。

 

 

登山道から分かれて小径を上り詰めた所にある古峯ヶ原神社。

苔むした石の社と境内を囲む大木が荘厳な雰囲気を醸し出す

「髙鶴山は、生活の山、信仰の山、遊びの山でした」と、

仕事の合間に頂上まで案内してくれた語り部の鈴木茂昭さん

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