2015年(平成27年)1月・冬39号

発行所:株式会社 山田養蜂場  http://www.3838.com/    編集:ⓒリトルヘブン編集室

〒880-0804 宮崎県宮崎市宮田町10-22-203

ご近所さんがやって来たかのような親しさで、来目木(くるめぎ)集落を通りかかった私を受け入れてくれた長山里子(ながやま さとこ)さん(78)は、炭焼きの準備をしている夫の恒秀(つねひで)さん(78)を手伝っていた。

「まだ要る」。里子さんが窯木(かまぎ・炭の材木)を手渡しながら、炭焼き窯の中に上半身を突っ込んで、尻だけが見える恒秀さんに声を掛けている。「挿し木(窯木の間を埋める細い木)がもう少し要るね」。恒秀さんは、あと少しで炭焼き窯いっぱいに窯木を詰め終わりそうだ。

「田舎だから、うちでは大きい炬燵だからね。炭でないとね、電気では温かくならないから。電気はお金も掛かるし、こういう木は家(うち)の山の自然の物だからね。大きい炬燵で、いっぱい炭入れると温かいですよ。暖かくなると、那珂川で捕れたアユを焼いてね。アユを焼く時には、やっぱり炭でないと美味しくないから。この炭はうちで全部使うの」

手編みの毛糸の帽子を被った里子さんは、窯木を渡す手を休めて、ちょっと誇らしげだ。

この炭焼き窯は、自宅前の休耕田を利用して、恒秀さんが自分で3年前に築いたものだ。四角く切った石を積み上げて窯の枠を作り、天井に鉄板を吊って、その上に土を被せた簡易構造の窯だ。

「窯木を奥山から運び出してくるのが大変なんです。一か月ぐれえ前から伐って準備しとかないとね。ある程度乾燥しねえと燃え付かないんですよね。家の近くでやってるからできんですけど、山でやるんだったらとてもできないです。炭焼きの先生に教わって、ようやく3年目ですから」

西の山に冬の陽が隠れる頃には、炭焼き窯に火を入れる準備が整いそうだ。

 

推定樹齢350年のカヤの木の傍らで里子さん

栃木県の北東部に位置する那須郡那珂川町(なかがわまち)の小砂(こいさご)地区は、8つの集落で構成され、戸数240軒ほどの山村。長山恒秀さんの炭焼き窯横にある小高い丘に祀られている示現(じげん)神社は、900年ほど前に創立されている。古くから人びとの営みが連綿と続いてきた地域でもあるのだ。

翌朝、示現神社の山から朝日が昇る前、恒秀さんの炭焼き窯を訪ねると、すでに窯から煙が上がっていた。元々は棚田だった周辺の土手の草や茶の葉が、霜でびっしりと覆われ白く輝いている。恒秀さんが窯口に座り込んで、炎に手をかざしながら薪をくべている。冷たい空気の中でパチパチと薪の爆ぜる音が、温かさを感じさせてくれる。

「松食い虫にやられた松を持ってきて、燃料にしてんです。窯木は、ほんとはクヌギが良いんでしょうけど、土地に合わないせいか枯れちゃうんですね。ここは、ほとんどナラです。自分ちの山ですから、時間掛けてひとりで山奥に入って、運搬車で運び出してくるんです。こうやって2日ぐらい薪を燃していても退屈しないですね。炭焼きは難しくて面白いですよ」

窯口で薪を燃やし続け、窯の中の温度を上げていくと、2日目ぐらいに窯口の近くに詰めた雑木や挿し木に火が点き、窯の上部から次第に窯木に燃え移っていく。その段階で、空気穴だけを残して窯口を塞ぎ、自然燃焼に任せる。「窯の煙突から出る煙の具合でね、窯の中の温度は分かるんですよ。空色のような煙が出始めるのを見計らって、窯口も煙突も全て塞いで一週間くらい待って、炭を取り出すんです。それより早いと、窯の中が熱いし、空気が入ると炭が起きちゃいますね」

窯の後ろへ廻って煙突から出ている煙の状態を見ていた恒秀さんが、煙を手で払うようにして出てきた。「ああ、辛(から)い」と呟く。その頃になって、ようやく示現神社の山から太陽が顔を出した。「やっぱりお日様は良いですね」と恒秀さんが、ほっとした表情で、寒さで硬くなっていた肩の力を抜いた。

それから数日後、まだ白い煙が上がっている炭焼き窯の横を通って、恒秀さんの家を訪ねた。炭火の入った大きな炬燵を見せてもらおうと思ったのだ。県道から自宅へ通じる小径の左側には、樹齢350年と推定される大きなカヤの木が聳え、右側には、二重船枻(にじゅうせがい)造りの屋根で、中央通路の両側に部屋まである大門が建っている。住宅は、いかにも旧家の雰囲気で、間口が10間奥行き5間半という大きな家だ。もらい火で1940(昭15)年に消失してしまった以前の家は、間口が16間もある大きさだったそうだ。

「玄関を入った所が大きな土間で、夜、仕事をやったりしてたけどね。その東側は馬屋で、家の中で馬を飼ってましたね。耕耘機が出てきた頃から牛になって、ま、馬は必要無くなったんだね。タバコ作りが最盛期の頃だったから、堆肥を作るのに牛を飼ってね。でも、牛は、たーだ堆肥採りだから採算が合わなかったんだね」

ほかほかと温かい炭火の掘り炬燵にあたり、お茶をいただきながら昔の暮らしぶりを伺った。「ちょっと失礼」と、布団をめくって炬燵の炭火を覗き込むと、恒秀さんの足下で飼い猫のユズが、突然訪問した私に怯えた目を向けていた。

小砂地区のメイン道路となっている県道224号線沿いの家で、庭に真新しい薪を積み上げ、直径50センチほどもある松の丸太を、油圧薪割り機で割っている。メリッ、バキッと小気味よく丸太が縦に割けていく。松並陶苑の岡稔(おか みのる)さん(67)が、5月に穴窯で作品を焼くための薪を準備しているのだ。

「昭和50年ちょっと前かな、陶器が売れたんですよ。それが間違いの元だったかな」。冗談半分、真顔も半分で岡さんが言う。「本来は農業の跡継ぎなんですよ。高校が終わった頃に、葉タバコが中心だった農業なんかやるよりも働きに出た方が良いって。地元には、小砂焼という伝統のある焼き物がありますから、最初、窯元の藤田製陶所で働き始めたんですね。23、4歳の頃から独立して、今作っているのは、日用雑器や花瓶などですよ。小砂焼は、瓶とすり鉢の世界ですから。プラスチック製品が出て、焼き物には影響がありましたね。瓶、すり鉢だって、一軒に2、3個あれば十分だし」

岡さんの焼き窯は、緩やかな斜面を利用して築いた穴窯だ。薪を10日間燃やし続け、窯内の温度を1280度まで上げて作品を焼く。

「高温になるのは、2、3日経ってからですね。大きな品物は炙りの期間を長くしますから、火を絶やさないように窯の小屋で寝泊まりしながら、10日間燃やすのは好きじゃないとできないですよ。温度が上がってくると、粘土に付いた薪の灰が熔けるんですよ。それが釉薬の役割をするんですね」

小砂焼の他の窯元がガス窯で焼く時流の中で、岡さんは、手間が掛かる上に作品は均一にならないことも多い穴窯にこだわっている。

「穴窯で焼く面白みがありますから。焼き物って、そんなに売れないでしょ。そうなると自分の好きな方向へ行きますよね。ガス窯だけでやっていたら(陶芸を)止めていたかも知れないですね。冬場は作陶をしないですね。寒くて粘土が凍っちゃうからね。自然には逆らえないもん。雨降ったら、体休めという感じで、むきになってやる仕事じゃないから」

農業の跡継ぎにはならなかった岡さんだが、伝統工芸の小砂焼を古典的な技法で継承していくことで、故郷が刻んできた固有の時間を誰よりも深く受けとめているように思えた。

 

●取材地までの交通

① JR氏家駅から東野(とうや)バス(本社営業所:028-661-2251)の「馬頭行き」に乗り、「馬頭役場前」バス停で下車。料金は1,150円。平日は1日に9本、  土日祝日は1日に4本運行。

② JR宝積寺駅でJR烏山線に乗り換え、JR烏山駅で下車。JR烏山駅からは、那珂川町コミュニティバスの「山村開発センター行き」に乗り、「那珂川町役場」バス停で下車。料金は500円。平日は1日に8本、土日祝日は1日に4本運行。

①又は②の方法で、那珂川町の中心部へ行った後、取材地の小砂地区を訪ねる公共交通機関はありませんので、タクシーを利用してください。

 

 

●取材地の窓口

 那珂川町役場 企画財政課

 〒324-0692

 栃木県那須郡那珂川町馬頭409番地

 電話 0287-92-1114

 Fax. 0287-92-1316

 Email:kikaku@town.tochigi-nakagawa.lg.jp

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