石上棚田神社秋の例大祭本祭りが始まる。宵宮の時より参列者が多いようだ。氏子の家を巡って祝詞を上げてきた亀山宮司が、神事を始める前に参列者の皆へ挨拶を始めた。
「今日はたぶん天気も良いので、お旅の方はするということでよろしゅうございます…か。祝詞の中に、お旅をするということと、ここで終わるちゅうことでは、神様にお話しを申しあげる中身がちょっと違うもんですから…」
例年ならば、祝い事などがあった氏子の家に招かれて接待を受ける個人神楽があるのだが、今年は、5軒もの家で喪に服しているため遠慮されてるのか、申込みが1件もない。せめて神輿巡行は行いましょうと、亀山宮司は挨拶の形を借りて念を押したのだ。
昨夕に続いて、亀山宮司の叩く太鼓の音が集落に響き、本祭りの神事が滞りなく終わると、参列者も一緒になって神輿を拝殿から担ぎ出し、巡行が出発した。22世帯の集落が維持する神輿としては、大きく華やかな六角形をしている。担ぎ手が足りないため、タイヤの付いた台車に乗せての巡行だ。刈り取りを待つばかりの稲穂が実る田んぼの脇を、「チョーサ ヨーサ」と掛け声を掛けて静かに進む。先頭を行くのは、厄払いの役を担う天狗の面を付けた圓堂長吉さんと大榊を担ぐ区長の田畑稔さんだ。圓堂幸潤さんが叩く小太鼓は、締め付けが緩んでいるのか、ボンボンと長閑(のどか)な音がして、参列者の笑いを誘っていた。
巡行の途中、現在の石上棚田神社に合祀されるまで社があった2カ所で、神輿を止めて神事が行われた。誰とも行き交うことなく、淡々と巡行は進む。集落の中心地ともいえる掲示板のある三差路で、ようやく集落の女性たち3人が巡行を出迎えてくれた。
神輿の前を大きな榊を担いで歩く稔さんは、神社の祭りは集落全員の祭りなのだと言う。
「ずっと昔はぁ、集落のお祭りやったかも知れん。でもぉ俺らが20歳代か30歳代になったらぁ、お客さんもいっぱい呼んで、ひとつのイベントになっとったじゃん。家の人がクタクタになるやん。今は、そういうことをするよりか、自分たちの祭りにするために、集落全員でやろうという形に変えたから。なんで村祭りかというたらぁ、家の者が休むための祭りや」
神輿が無事に拝殿へ帰り着くと、秋祭りを終える神事だ。この時は、本殿の中で沸かした湯を使ってお祓いをする湯立神事が行われた。神事の後は、またまた直会だ。さっそく祭壇にお供えしてあった御神酒の栓が抜かれる。本祭りの直会には、圓堂ミチ子さんが作った豆腐、薄揚げ、コンニャク、人参、椎茸、蕗、それにキリイモ(ナガイモ)の煮染めが、重箱で振る舞われた。重箱が参拝者を一巡すると、ほとんどなくなっているほどの人気だ。
氏子総代と当番の釜田班が、昨日の朝6時から集まって準備した石上棚田神社秋の例大祭は、間もなく終わろうとしている。集落自慢のキリコ(灯籠)は中止となり、個人神楽の招待もなかった。例年に比べて少々寂しい秋祭りだったが、滞りなく無事に終わろうとしていることで、皆の表情は安堵の気持ちにひたっているようだ。今年の当番だった釜田班の釜田衞(かまだ まもる)さん(54)は、金沢市内に勤めているため、日頃は吉ヶ池集落では暮らしていない。当番の責任を果たすため、休暇を取って参加していたので尚更のことだろう。日暮れ前の集落を歩くため、少し早めに直会を失礼した。参道の階段を降りていると、ひときわ高く幸潤さんの笑い声が響いてきた。
境内を出るとすぐに、陽が沈んだ。黄金色の稲穂が波打つ田んぼだけが空の明るさに照らされて、夕闇の迫る景色に浮かび上がっている。よく見ると、田んぼの奥の畑で仕事をしている人影があった。早めに祭りを引き上げた西行雄(にし ゆきお)さん(64)と美江子(みえこ)さん(61)が、大根の種を蒔いていた。几帳面に土を掻き上げた畝に、行雄さんがペットボトルの底を使って、一定の間隔で一つひとつ丁寧に位置を決め、そこに5粒ずつ種を置いている。その上に細かく砕いた土と籾殻を被せていくのは、美江子さんの役目だ。
「金沢で仕事をしているので、土日だけ帰ってきて野良仕事をしています。ずっと雨だったので、土が固くなっていて」
今日の月曜日は、祭りのために休暇を取って帰っているが、野良仕事が終われば、明日の仕事のために、行雄さんは金沢へ戻らなければならない。それにしても、行雄さんと美江子さんの仕事振りは、専業農家と同じ実直さだ。若い時に一緒に暮らした祖父母や両親の仕事振りが、体に染み込んでいるからなのだろう。
2人が自宅に帰った後、神社の参道に近い暗がりに、婦人がひとり立っている。暗くなっても直会から戻ってこない夫を心配して、迎えに出て来た間口つや子さん(70)だ。「酔っ払って階段を滑ったらと、気になるけど。祭りだから、飲むなちゅうことは言えないですよ」。
階段上の拝殿から明かりが漏れている。ちょっとだけ大声になった男たちの声が、下の道路まで聞こえてきた。祭りの余韻が、闇に包まれた吉ヶ池集落に漂っている。
写真と文 芥川 仁