読者からのお便り

 

 

 

 

 

 私くらいの年代までやの、ドン淵で泳いだんは。そこの小蓑川(こみのがわ)を堰き止めとんよ。そこを落ちてくるから深くなるんよ。私の背丈ぐらいはあったよ。あそこに小っちゃい家があるでしょう。あそこに堰があってな、その横はな、水の入り口かも知れん、水口(みなくち)言いよったわな。
 それこそ恥ずかしい話やけどね。ホントに素直に、生まれたまんまの姿で飛び込みよった。それこそ、皆、素直なもんや、本当で。同級生が来たって、大人が来たって、あ、来たわ言うて、顔だけ水から突き出して、泳ぎよったんや。
 川でパチャパチャとの、這うたり泳いだりしよったわな。お魚捕ったり掬うたりしての。それこそ、今はもういなくなったけど、スナンキョ言うてな、色の白いお魚にな、点々があってな、本当に綺麗なお魚やったで。それからビビン言うのがおったわの石の下に。ビビンいうのは魚やけどな、あんまり泳がんの、石から石へ砂の上を這うようにして行くんがおったけどな。今は、もういないよ。エビやて食べたものやけどの。川エビは、ほんの少しになったわの。そこらにちょっとはおるけど。川エビってちいちゃい、これ位しかないの。(そう言ってヨシ子さんは、親指と人差し指の間を2センチほど開いた)。私は食べたことない。ドジョウはみそ汁にしよったで。スナンキョは焼いて食べよったの。それから、ジャコやアブラ魚とか何とか言うんがおるわの。ジャコは、背中に筋が入っとるやろ、赤い綺麗なの。それから、アブラ魚いうんは、もう本当に水の綺麗なとこやないとおらん言いよったわ。ドジョウみたいな色での、泳ぐんやけど。
 それとな、今な、ゴイサギいうんがおるんや。ゴイサギいうてほんとに置物ぐらい我慢して、じっと立てっとって、お魚が浮いたらパッと捕るんや。あれはもうお魚食べてしまうの。フナやコイ、食べてしまわれる言うたで。あれ、ものすご食べるっての。川のお魚やシジミのようなんを皆食べるんやって、あれ。
 ここらに沢山はおらんので、2、3羽しか見らんでの。それが、まあ、しょうらしいとて。しょうらしいと言うのは、よく動くことじゃのう。こまめなと言うかの。それがのう、ゴイサギは、こまめには動かんので。だけど、餌を捕るのは本当に上手なわ。ゴイサギは辛抱ええんやな、あれは。30分でも1時間でも、こなんして片足で立てっとるわな。(ヨシ子さんはそう言って、片足をひょいと持ち上げた)。あのゴイサギは、私が小さい時には、いなかったんで、あのゴイサギは。本当の名前は、ミドリゴイサギとか言うじゃろけどの。
 あれは、シジミも捕るげなの。うちの上にあるやろ、池。貝の殻が浮いとるよ。だけん、あれ食べるんやろ言っとんよ。もうカラス貝やってもおらんで。カラス貝いうてな、黒うてな、大きん、こんなに。(ヨシ子さんは、両手の親指と人差し指で直径10センチほどの楕円形を作った)。カラス貝は、もうおらんようになってしもた。
 もう川の魚は、あんまり食べんようになったで、ここらの人はな。今は、海の魚が簡単に手に入るけん。昔は、海の魚がなかったからな、川の魚食べたんよ。手まめに、小まめに食べたんやろな。
 あのな、私らの時はな、ツツミいうてな、竹で編んだ片方が広うて、こっちが狭(せば)まっとってなザルみたいなもんがあってな。子どもやから、川の草が生えとるやろ、そこにツツミいうんの広がった方を置いてな、足でパチャパチャして捕りよったんよ。それが楽して楽して、それが一番の楽しみやった。
 昔はな、草履はな濡れるでしょ。あのマンテン(満点印のゴム草履)いうのが、あったでしょ、ゴムの草履。あれ買(こ)うてくれたらな、あれが濡れんでしょ、パチャパチャしてお魚捕りよったんよ。ここらの川は、水が冷たいからの、昼ご飯食べてからじゃ。唇が青うなったら、もう出るか言うて、水から出よった。背丈ぐらいあるからな、泳ぎよったら凍えるんや。それこそ、タオル一本、体拭いたら、さっさと帰ってきよった。
 私と同じ昭和15年生まれは、小蓑(こみの)で15人おったけどな、今、残っているのは3人。まさみ、かずお、それに私。小学校から中学校までずっと一緒、持ち上がりやな。中学校の卒業式の時、先生に職員室へ呼び付けられて、「自分で勝手に漢字の名前に変えたらいかんのぞ」と、叱られた。皆が、ほら、テストの時なんかに、自分の名前を漢字で書くでない。私だって漢字で書きたくておれなんだ。それで、自分で勝手に当て字を書いたん。ほんで「良子」と書いて、ヨシ子にしたんや。テストの時なんかに、良子良子いうて書きよった。ほんだけど、あれは嘘。籍は、ヨシ子や。