読者からのお便り
リトルヘブン余録

 樒原の住宅は、軽自動車の車幅が道路一杯というような細く曲がった急坂で結ばれている。取材で訪れた私は、レンタカーを集落の上を通る県道55号線の空き地に停め、集落の中は歩きだ。県道沿いに建っている愛宕神社の一の鳥居を潜り、急坂をジグザグに下りて家と家の間を抜け、集落下の三叉路に出た時に驚いた。
 メタリックなオレンジ色に輝く大きな乗用車が、家からはみ出して停まっている。幅が30センチもありそうな太いタイヤ、エンジンルームに銀色の太いパイプが輝き、車体の前にクーラーのような装置が付いて、ナンバープレートは当然付いていない。樒原にはまったく場違いな光景だ。
 茶髪で耳にピアスの青年が、道路に置いた大きなガラスに何やら加工している。「塗装が終わったので、リアウインドウを取り付けるところ」と、寺町邦彦さん(31)が、作業の手を休めずに教えてくれる。ドリフト走行と呼ばれる自動車レースに出場するのだ。「昨年までは、ストリートリーガルに出ていたんですけど、それなりの成績だったので、今年のシリーズからD1グランプリに出ます。それで、車を新しくしてるんです」。私には、意味が分からない言葉が、次々と飛び出してくる。
 ドリフト走行というのは、彼の説明によると「スケートで言うフィギュアスケートのようなもので、スピードを競うのではなく、車を横に滑らせて走り、迫力や美しさを競う競技」なのだそうだ。
 「美しくて目立つことで点数を競うので、ボディの色はキャンディオレンジにしました。今年初めて、グランプリに参戦するんです。まだスポンサーが決まってなくて。ボディはニッサン、エンジンはトヨタです。双方の良いところを組み合わせて、性能の良い車に仕上げていくんですよ。市販の時は、280馬力のエンジンなんですけどね、現在は600馬力まで上げています。お金を掛けるともっとできるんですけどね」
 彼は、車の塗装工場に勤めている。根っからの車好きのようだ。
 「自宅の納屋を改造して車庫にしているし、自宅から通っているので、給料のほとんどを、この車に注ぎ込むことができて、両親には有り難いと思っています」
 彼のひたむきさに気持ちが惹かれる。
 今年4月の第2週からD1グランプリシリーズが始まり、年6回のレース全てに参戦する予定だ。「今まで走ってきたステージと違うから、不安もありますけど、一からのスタートなので失うものもないから、精一杯頑張ります」と、その意気込みを語る。
 「ドリフト走行はレーサーの寿命が長いので、しばらくはD1に挑戦しようと思いますが、結婚したり子どもが出来たりしたら、そう長くは続けられないのが現実でしょうけどね」
 「ずっと、樒原に居る予定ではあるんですけど。やっぱり今まで生活してきて、不便なこともありますけど、実家に居ると言う面も含めて環境的には恵まれているし、田舎ですしね。都会に住んだことないから、比べようもないし。今は、勤めているけど、もちろん、自分で工場を持てるように頑張っていくつもりです」
 凜として清々しい空気、そのままでも飲める七谷川の水、美しく耕された鎧田、手入れの行き届いた万燈山など、豊かな自然に囲まれた樒原の中で、自動車レースに参戦しようとする寺町邦彦さんの存在に違和感を覚えていた。しかし、彼のひたむきさや故郷に対する愛着の言葉を聞くと、彼が目標に向かって努力しながらも、地に足の着いた生活者の視点を忘れないのは、樒原に、彼を惹き付ける地域の豊かさが潜んでいるからだと思えてきた。

 

写真・文 芥川 仁