読者からのお便り

小雪が舞う中、越畑南ノ町のとんど焼き

 京都府京都市右京区嵯峨宕陰(とういん)地区は、右京区の西端に位置し、南に樒原と北に越畑の集落がある。水分を含んだ重たい雪が、早朝から降り始めていた。1月14日は、樒原(しきみがはら)集落のとんど焼きだ。この地域の氏神様である四所神社(ししょじんじゃ)へ行くと、近くにあるバスの車庫だった所で煙が上がっていた。自治会長の川合益雄さん(66)を先頭に津田悦夫さん(81)と北岸實さん(68)、岡本治雄さん(63)が、神社の倉庫から薪を運んでいる。
 「いつもは神社前のカーブ辺りでやっとるんですけどね」と、雪のために車庫の屋根に入ったと、川合自治会長が説明する。神社の注連飾りと3人が持ち寄った正月飾りや古いお札は、すでに炎の中だ。薪を運び終わると、さっそくお神酒の湯飲みが回ってきた。パチッパチッと炎の中で爆ぜる音がする。時折、パーンと竹の弾ける大きな音が響く。とんどの火を囲んで、降りしきる雪を見ながら男たちの話が始まった。
 「今日は雪やから、ゆっくりしたらええわい。この調子やったら今日一日降るな」「降らなあかんのや、水がないから」「火が一番ええな」「家におったら、こんな当たられへん」「あっ、湯飲みに灰が入ったわい」「それもご利益あんのや」
 そこへ注連飾りを手提げ袋に入れて婦人がやって来た。
 「皆さん、おめでとうさんでございます。おばあちゃんが、こんな雪やのに行かんでええのに言うけど、折角やってくれはっとるのにねぇ。ちょっと屋根に入らしてもらお」
 「お神酒飲んでくれへん」と、川合自治会長が湯飲みを差し出す。「けっこう、けっこう、火に当たらしてもろたらなあ、ええねん」
 差し出す湯飲みをやんわり断り、とんど焼きの炎に手をかざす。今年は、地元消防団の旅行と日程が重なったため、働き手である青壮年の男たちの顔が見えない。消防団、自治会、学区、福祉協議会など、戸数より地区役職の数の方が多いため、誰もが一つや二つの役員を務めている。「皆、偉いさんばっかりや」「日曜日になったら何たら会議がありますわ」「街に居ったら用がなくて、認知にならはる人が居りはるけど、ここでは認知にはならんわ」。
 昼が近くなると、とんど焼きの火が消えかかってきた。
 「これで正月も終わりや。早いもんや」と、北岸さんが残念そうに呟いた。始まりからとんど焼きの世話をしていた4人の男たちが、湯飲みを片手に棚田に降り続く雪を眺めている。

四所神社の本殿に
夕陽が差し込む


越畑南ノ町の
平井てる子さん


雪の中、注連飾りを
持って


川合自治会長(右)が
お神酒を勧める

とんど焼きの炎で暖をとる


お神酒は金粉入り

焼いた餅は皆で
ちぎって食べる

 翌日は小雪だった。この日は、隣の越畑(こしはた)集落南ノ町でとんど焼きが行われた。越畑集落の氏神様八坂神社の祢宜(ねぎ)を務める桐山房夫さん(63)は、神社のとんど焼きを終わらせた後、地区のとんど焼きに参加した。「祢宜の資格は要らんのですが、集落の役で順番に回ってきて、若い者が外に出てしまいますさかい、僕はこれで2回目ですわ。せめて50歳は超えてないと祢宜は務まらんですわ」。
 越畑南ノ町の農道で行われているとんど焼きは、すでに炎が小さくなっていた。房夫さんが遅れて参加すると、「お父さん、もうちょっと肉焼いてあげたらどう」「おう、なんぼでもあるで」と、平井義昭さん(75)が奥さんの声に応える。すると、皆が「そんなん言うから、又、雪が降ってくるんや、早よ帰れ言うて」と、大笑い。義昭さんは、越畑南ノ町でただ一人狩猟の免許を持っている。とんどの火とは別にバーベキューの炭火で焼いているのは、彼が鉄砲で獲ったシカのあばら骨だ。
 「鉄砲の所持免許を3年に1回更新する時には、近所に評判を聞いて回るらしいで」と、義昭さん。「嫁はんの聞き合わせと同じや」「鉄砲の時、嫁はんにも聞くらしいで」「そんなん仲良うしとかなあかんやん」「地区に一人は免許持っといてくれんとな。シカもイノシシも増えてしょうないで」。雪の中であばら骨をしゃぶりながら、話題一つひとつに皆が呼応していく。
 越畑の風景に魅せられて家族で移住してきた篠原貴之さん(51)が、丸餅を挟んだ青竹を2本持ってやって来た。こんがり焼けた青竹の餅は、1本をとんどに参加している皆に少しずつちぎって食べてもらい、もう1本は、家に持って帰って神棚に供えるのが越畑の風習だ。越畑ではもう一つ男女占いの風習がある。とんどの火で炙(あぶ)った青竹を叩き付けて、パーンと大きな音がしたら男の子が生まれ、スーッと抜けた音ならば女の子という占いだ。参加している者の中で最も若い篠原さんに、房夫さんから声が掛かった。「尖った角はあかんで、電柱の丸みがええんや、行ってみぃ」。篠原さんが熱くなった青竹を握って電柱まで走り、勢いよく叩き付ける。竹の弾ける大きな音がパーンと越畑の棚田に響いた。篠原さんは満足顔だ。「ああ、ええ感じやったわ」「もう一人男の子やな」「もうええわ、やっと学校行ってくれるようになったのに」「ほんま気分のええ音やね」。とんどの火を囲んだ皆の顔が、晴れ晴れしている。

高齢化で200年の歴史途切れ 青年たちが有志で立て直す

 樒原集落は、古くから火難除けの神様として信仰を集める愛宕山に参拝する人びとの宿場として栄えた。参道入口と集落の境に建つ一の鳥居が、その面影を伝えている。現在は14戸となった樒原の家々は、重なるように急斜面に建ち並んでいる。人びとは細くて曲がった急坂を跳ぶように上り下りし、くるりとバックで納屋の軒先に車を止める。運転の腕前は曲芸師のようだ。
 樒原集落と七谷川を挟んだ反対側は、地蔵山の裾野で、鎧田(よろいだ)と呼ばれる棚田が広がっている。1月の3連休が始まったばかりの穏やかな午後、鎧田に煙が上がっていた。青い作業服を着た石原巧さん(52)が、棚田の土手で野焼きをしている。平日は勤めに出ているため、休日か勤めから帰ってからでなければ田んぼの手入れはできない。
 「年に6回、土手の草を刈るんですよ。年4回でもええんですけど。そうすると、草が伸びて硬うなって、かえって体がきついんですよ。棚田だから、土手が広いんですよ。田んぼがあれば、やらなしゃーないし」
 巧さんが、以前に刈り取って枯らしてあった草の山を集めて、火を点けて歩く。そこに父親の石原昌次さん(85)が、やって来た。昌次さんは、竹棒の先に火を点けて、集める前の小さな山のまま枯れ草を燃やして歩き始めた。野焼きの火が、あちこちに広がる。
 「年寄りはね、言ってもきかん。やりたいんですよ」と巧さんは、しょうがないなという感じだ。「これ貸してあげるから、草集めて燃やして」と声を掛け、自分が使っていたフォークを父親に手渡す。昌次さんが、息子に言われた通り枯れ草を集め、大きくなった草の山に火を点けると、もうもうと煙が立ち上った。その様子を遠くから見ていた巧さんは、「煙の中におったら、あかんでぇ」と、大きな声をかけて父親を気遣う。
 「ここに生まれたから、ここに住んどる。若い人が出て行くからね」と言う言葉の端に、自分までが故郷を出てしまってどうするという巧さんの覚悟を感じた。彼が耕作している棚田は10枚で9反ある。「その内の半分は、よその田んぼ」。耕作できなくなった家の田んぼを預かっているのだ。「ここは、棚田の上の方でしょう。ここを荒らすと目立つからね。それに、一旦草が茂ったら元の田んぼには戻らないでしょ」。巧さんが耕作している棚田は、すでに稲の株を鋤き込み、きれいに畝が作られている。「雪の降る前に株を鋤き込まないと、田んぼがじくじくなって作業が大変なんです」。
 火を点けて歩いていた昌次さんが土手を見ながら、私に話しかけた。「今年は曼珠沙華がようけ咲きまんな。曼珠沙華の根が土手にあると、モグラが入らんな。緑の葉っぱがようけ出てますわ」。そう言うと昌次さんは、フォークを畦に突き刺し、農道を帰って行った。巧さんが一人で、土手の草刈りを始めている。明日からは消防団の旅行に参加するので、3連休のうち彼が農作業をできるのは今日だけなのだ。

取材地

●取材地の窓口
京都市右京区役所 宕陰出張所
〒616-8475 京都府京都市右京区嵯峨樒原宮ノ上町2番地5
電話 0771-44-0314

●取材地までの交通
JR山陰本線八木駅前から京阪京都交通バスで43系統・原神吉線終点の原バス停まで。約40分、610円。一日3本運行。
バスの問合せ先:京阪京都交通バス亀岡営業所 電話0771-23-8000