読者からのお便り
リトルヘブン余録

 野菜 穀物つくるけど サル シカ イノシシ食べまくる
 うらあ なんだか悲しいわ わやあ 茂倉をどう思う

 畑が荒れて木を植えて 林が家を攻めてくる
 うらあ なんだか淋しいわ わやあ 茂倉をどう思う

 年寄りばかりの村だけど しっかり我が家を守ってる
 うらあ なんだか切ないわ わやあ 茂倉をどう思う

 だけど良いとこあるんだよ みんなの心が温かい
 うらあ 何だか嬉しいわ わやあ 茂倉をどう思う

 帰って来いとは言わないが 親孝行を忘れるな
 分かってくれたら嬉しいわ わやあ 茂倉をどう思う

 茂倉(もぐら)は集落の地名。早川町を歩くと、どこの集落へ行っても茂倉の地名が出る。茂倉が、それほど早川町の風土を表す暮らしぶりを維持しているからなのだろう。ここに暮らす望月八重子さん(69)の手作り詩集「心のままに」の冒頭に載っている「息子へ」と題する詩である。「うらあ」は、茂倉の方言で「私」のこと。「わやあ」は「あなた」だ。県道37号線沿いに、今はほとんど店を閉じているが20軒を超える商店が並ぶ新倉(あらくら)集落がある。そこからカーブの多い急な坂道を北東の方角に登り切ると茂倉集落だ。遠くの山の重なりが見渡せる頂(いただき)付近の斜面に、家の数は50軒ほど見える。しかし、実際に住んでいる人口は「27、8人だね。1軒1人のほうが多いさ。3人は居ない。2人が4軒かな」と、通りがかりの男性に教えてもらった。
 茂倉で生まれた八重子さんは婿を迎えたが、自分が30歳の時に夫を事故で亡くした。長男は5歳、次男が3歳、三男は生後5か月。「急に旦那に亡くなられて、自分が生きていくための心の糧として、自分なりに詩を作っているけど……」と、控えめに手作りの詩集を見せてくれた。
 「最初は、自分は何でこうなのかなと思ってたら、自分が嫌になっちゃってきて、人を羨むというのは醜いじゃないですか。3年くらい経って、そうだ、自分は自分なりの幸せがあるかも知れない。自分なりの幸せを見つけようと思ったら、もう、他人を羨むことがなくなって、惨めにもならなくて」
 八重子さんは、夫を亡くした後、役場の福祉関係の仕事をしてきた。
 「福祉の仕事をしてて、分かったのは、他人は変えられないから、自分が変わらなきゃいけないって」
 八重子さんの言葉は、どれも真っ直ぐなので、こちらがたじろぐ。

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 昔、ここの分校で先生をしていた川口仁さん(82)に、茂倉集落を案内していただいていると、当時の教え子だった女性が3人、作業服で坂道を降りてきた。「さっきお前の旦那が車で降りて行ったが、どこ行った」と川口さんが聞く。 「うちのは鳥狂いで、ヤマガラとホオジロ捕りに行ったよ」「ヤマガラ捕れるか」「ヤマガラ捕れるよ」と、会話が始まった。
「お前ら何してた」「エンコンベ(エゴマ)の実、落としてた」と、使い込んで艶々としている二股の枝で作ったブチと呼ぶ脱穀の道具を見せた。
 「先生、ブチで叩く時は、優しく叩けば殻を開くけど、強く叩けば嫌だって口をつぐむだって。優しくなければだめだって」
 「おとといの朝は、サルがすごかったよ。人間は30人居らんのに、まったくサルは50匹以上居たよ。大豆の殻を小積(こづ)めたところにサルが寄って来て、大豆の匂いがしたんだね。大根も首が出ているところを次々と囓っていくから。サルの歯形の付いたのを食べる気にならんじゃん。下(の集落)へ行って物を買ってきたんじゃ、楽じゃん。でも、そうしてたら、自分が駄目になるじゃん」
 川口さんは「つらいよな、何とかしてくんなきゃ」と、呟くばかりだ。
 茂倉集落は、標高900mの大自然まっただ中の集落だ。資料によると600年以上の歴史がある。平地はなく畑が少しは見えるが、厳しい自然の中で600年も歴史を繋いで来るには、生きる毎日が自然との戦いだった。何事に対しても真っ直ぐに向き合う茂倉の精神は、こうした毎日の厳しい暮らしの中で育まれたのだと思った。

 

写真・文 芥川 仁