読者からのお便り

 私は、終戦の時が国民学校3年生ですからね。黒桂の集落は、全部で30戸あるんですよ。その当時ですと、子どもが3人4人ちゅうのは当たり前で、全部で60人も70人も子どもが居たですね。木偶転がしは、小学校3年生から中学生までの、男だけの行事ですからね。それでも20人は居ました。
 木偶は、毎年作るんですよ。旧正月の10日前後にですね、大人にも協力してもらって杉を一本切り出して、子どもの年齢に応じた大きさの木偶を作るんです。大きいのだと直径30センチくらい、高さが40センチくらい。14日の午後3時ごろ、子どもたちが公民館に集まってですね。木偶の顔を墨で書いて、後ろには、子どもなりに、食料が無いときには五穀豊穣とか、学力向上や家内安全とか、そういう願いを、自分の思い思いで書きましてね。子ども本人も変装するんですよ。顔を白く塗ってお化粧して、ヒゲを作ってね、眉毛を濃くしたり、ほっぺたに赤く紅を塗ったりですね。中学3年生の一番右翼が、道祖神になるんですよ。それは、風袋も違うんですよ。羽織袴を着けて、足袋を履いてね、ええ。帽子を被ってですね。何ちゅうもんですか、そう、中折れ帽、それを被るんですよ。道祖神さんだけは、木偶が違うんです。カツ(ヌルデ)の木の直径10センチほどのすらっとしたのにね、刀で樹皮を剥いで眉を作り、目を作り、顔を作ってですね、皮を削いで頭を作るんですよ。
 それで、それが頭(かしら)の道祖神になりましてね。その隣に副道祖神ちゅうのが序列順に並びましてね。全部の家庭は回らんですよ。前年に結婚された新婚さんね、そいで、子どもさんが生まれた家庭ね、もう一つは、厄年ですか。女ですと19と33歳。男ですと25と42歳。その厄の家も回ると、だいたい戸数の半分ぐらいになるんですね。
 100年も経った旧式の家ですから、火ジロと言いますが囲炉裏のことですね。朝から晩まで、薪を燃してね、そこで煮物をする、ヤカンを吊して湯を沸かして。そういう式になってますから、道祖神全員が座敷にずらっと並びましてね、木偶を家ん中じゅう転がして歩くんですよ。
 家に乗り込むと、副道祖神が口上を述べてね。「誕生おめでとうごいす」とか「結婚おめでとうごいす」とかね。その後で「お祝いなすっとくれ」と言うのを合図に、全員で「祝っとくれ、祝っとくれ」と言いながら、家ん中じゅう木偶をゴロゴロ、ゴロゴロ転がして歩くですよ。そしたら、ジロん中に木偶を転がしちゃってね、ヤカンをひっくり返しちゃってね、家ん中じゅう灰だらけになったりね。それでも道祖神がやることですからね、家主は怒る訳にはいかないしね。畳なんかでもね、木偶をデンデン、デンデン転がしますから擦り切れてしもて、それでもやっぱり家主は文句は言わない。そして、御祝儀を持って来るですね。副道祖神に持って来るです。その場で開けてみてね、入っている金額を道祖神さんに見せるんですよ。一回じゃ成立しませんから、道祖神さんが首を傾げるんですよ。すると、副道祖神が、「道祖神さんが気に入らんと言っとるから、まっとお祝いなすっとくれ」と言って、また、木偶を家ん中じゅうゴロゴロ、ゴロゴロ転がして歩くですよ。そして、また、家主が追加の御祝儀を持って来る。それでも、道祖神さんが首を傾げると、3回4回やって、そして最後に、この家で戴く予定の金額になると、副道祖神が「おごっそうさんでごした」と、次の家へ進むという訳です。
 戴いた御祝儀は皆で分けるですよ。歳の大きいもんが多く、小さいもんは少なくもらってね。子どもは、それが楽しみでね。
 道祖神が来て、家の中に潜んでいる悪病神を退治してくれて、結婚を祝ってくれて、子どもの誕生を祝ってくれるちゅうことですからね。「ちったあ、弾んでやれ」と言う訳ですよ。
 木偶転がしが終わったら、木偶は、黒桂集落の真ん中にある道祖神に奉納して、一年間は、道祖神の前に雨ざらしで置いてあって、翌年のどんど焼きの時に燃すちゅうことです。
 木偶転がしは、寒い時期で、藁ジョウリを履いとったような気がしますね。足の甲に藁を巻いてね。ゴムのダルマ靴ちゅうものもあったね。家から家へ移動するのは、夜ですから、提灯さげてね、道祖神さんが先頭で入っていくんですよ。子どもらが居らんようになって止まってしもて、15年ほど前に一度復活したけど、続かないね。今から考えれば、終戦後の、あの頃が夢のようだね。