読者からのお便り
 親の代わりに高校生の頃から鯉祭に出よったですけど、当時は旧暦でしよったから、11月の霜が降りる時やったですね。池干しをしてから、大人ばっかりが鯉捕りにドベの中に入るんです。ドベが軟うして腹まで埋まるんですよね。自分らは、火を燃やす係とか酒の燗をつける係やったですもんね。
 鯉は全部捕ってしもうたらいけんとです。オスとメスの大きいとを残しとかな。「来年はどげするとか」と、年寄りから怒られよったです。種残しちゅうてですね。
 自分らが小学生の頃は、池干しの時に栓を抜いて水を溝に流すでしょ、そん出口んとこにエブジョウケ言うて、竹カゴをすけといたら、小さな鯉やら鮒やらが捕れよったです。
 子どもたちは皆、肥後の守ちゅうて小刀を一本持っとったですからね。それで鮒をさばいてね、竹串を作って、それを鮒の口から刺してね、焚き火で焼いて食べよったですね。家に持って帰ったのは、一旦炙(あぶ)ってね。鮒は匂いがするでしょうが、炙ると匂いが取れますけね。それを甘辛く炊いて貰いよったですね。
 前の山に浦田(うらだ)八幡神社が祀ってあるとです。赤村史に「創立嘉永二年(1849)九月一日、此年疫病大ニ流行シ村民夭死スル者多シ 依テ我鹿神社ノ御分霊ヲ崇奉ス」とあるとです。元々は、岡本集落の光明八幡神社を我鹿(あか)神社(但し地元では「がが」と呼ぶ)と言いよったですがね。あそこの分霊が祀ってあるとです。祭日は、旧暦の9月3日。浦田集落では無病息災を願って鯉祭を始めたとですが、言い伝えが難しかです。一つ、集落が三軒になるまで鯉祭を続けること 二つ、五菜として野菜や栗など各家で収穫し、必ず生鯉を供えること 三つ、祭日の神社は女人禁止、男料理で行うこと、とあるとです。
 男が全員寄って料理を作りよったですね。鯉と鮒料理ばっかりやったですね。鯉の洗いの刺身は、神社で食べてしまうけんね。当時は、栄養源がないけん栄養のために鯉を食べるごとしたとやないのかなと思うとですよ。どういう訳か知らんけど、鯉には、絶対里芋を付けないけんやったですね。
 浦田八幡神社の御神体は、細長い石です。小さな祠のような本殿の中に納めてあっとです。鯉祭の日に祭壇が上がるでしょう。その時に、神主さんが白いサラシを新しく巻き替えてくれるですね。本殿の後ろには、男松と女松があって、今は切り倒してしまった女松は、亀の甲羅が重なっちょるごつある木肌で、子どもん頃は、そんウロコんごつあるとこを持って木登りしよったですけん。
 池の上に家が2軒ありよった頃には、自然と餌が池に入りよったですけど、家がなくなったら、鯉が太らんごとなってしもて、頭が大きいて尻細ですもんね。
 今はもう、池を干してません。鯉も入れとらんしね。今では、鯉祭は10月の第一日曜日になっとります。女人禁制ではなく、皆で料理しとります。昔からずっと浦田集落に居るのは10軒やね。何十人分の料理を作るのは家で作るのと違うでしょうが、若い人が組長になったら止めよかというような話が出ますね。160年余り続いた鯉祭を絶えさんごつせんと。
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