読者からのお便り

 稲荷神社「おこもり」の掃除は、石段に腰をおろしてマムシの災難を話すうちに、わずか1時間ほどで終わった。昼から再び、山頂の境内に集合して、いよいよ直会だ。岡本集落18軒が4組の「五人組」に分かれて、毎年、順繰りに直会の料理を準備することになっている。今年は、光明寺上の寺本ムツ子さん(68)が中心となっている五人組が当番だ。
 昼前に境内へ上ると、すでに稲荷神社の社(やしろ)前にはシートとゴザを敷いて、神事と直会の準備が整っていた。神主さんが石段を登ってきた途端、パラパラと小粒の雨が降ってきた。田中組長が、不安そうに空を見上げる。
 「降ってくるかな」、田中組長が誰にともなく呟く。「組長が決めんば」。突き放すように、皆が決断を促す。雨になるならば、光明八幡神社の前にある上赤集会所に会場を移しての直会となるのだ。
 田中組長は少し迷っていたが、神事は社前で行い、直会は集会所で行うと決めた。田中組長が携帯電話で、まだ境内に上ってきていない人たちへ、直会は集会所で行うと連絡を始めた。若い衆が一斉に、準備してあったシートとゴザを剥(は)がしにかかる。集まっていた集落の人びと10人ほどが神妙に頭を垂れる中、神主の祝詞とお祓いが始まった。
 上赤集会所では、テーブルの上に当番の五人組が作ったオードブル風の料理が並び、準備は万全。主賓席に神主さんが座ると、特に挨拶らしきことはないまま直会が始まった。皆、隣や前の席の人たちと、のんびり話をしている。少し離れた席から女性の声が聞こえてきた。
 「お父さんと旅行しとっても、お父さんはひとりでツゥーツ ツゥーツ行ってしまうけん。私は恥ずかしいわ。ひとりで旅行しよるごとあると、お父さんに言うんよ」
 その声の辺りから、一斉に笑い声が弾けた。田中組長がお盆を持って、お賽銭を集めて回る。「組長に出すんじゃ、ご利益がないごつあるね」と、茶化しながら蓑添さんが小銭入れを開ける。誰もがにこやかに話し込んで、穏やかな時間が流れる。
 夕方、十津川の向こうで煙が上がっていた。嘉久久仁子(かく くにこ)さん(64)と長男の一幸(かずゆき)さん(40)だ。「今日、初めてトラクターを使いよっとです」と、久仁子さんがそっと言う。どうりでトラクターの動きがぎこちない。夫の勝己さん(65)が今年2月に脳梗塞で倒れ、週3回リハビリを兼ねてデイサービスへ通っている。久仁子さんにとっては、畑の手入れどころではない半年間だったのだ。ようやく、荒れてしまった畑に手を入れて、作り直す気力が出てきたのだろう。勤めに出ている一幸さんが、畑を手伝える時間は、わずか。伸びきったオクラや枯れかかったミニトマト、里イモやサツマイモの畝、枯れたコスモスの花がらが散らばった畑。やるべき作業は多い。一幸さんが運転するトラクターのエンジン音は、西の空に星が見える時刻になっても止まなかった。
写真・文 芥川 仁
   

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